MMTへの誤解を解く その5 「モノ」は有限、「コト」は無限

お金は「モノ」だと、普段の私たちは感じていて、
それが社会通念になっていると思う。

だけど、
ここまでずっと、「一万円札は借用書である」という
立場で話を続けて来た。

一万円札が借用書ということは、
一万円札の本質は、それが「紙幣」という「モノ」に
あるのではなく、
一万円分の価値を「動かしました」という「コト」に
あるということだ。

したがって、一万円札は、
ただそこにあるだけでは、存在意味がなく、
誰かと誰かの間の取引の場面で、これを
相手に渡すことによって、
相手から受け取ることによって、
はじめて役割を演じることになる。
動かさなければ意味がない。

“ 金は天下の回り物 ” とは良く言ったものだ。
多分、そういう意味で言ったのではないだろうけれど。

要するに、通貨の本質は「コト」なのだ。
「モノ」ではなく。

ところが……
私たち一般庶民どころか、高名な経済学者ですら、
通貨を「モノ」とみなして話をする。

そして通貨、つまりお金という「モノ」こそが
「富」であると勘違いをする。

本当の「富」は、お金ではなく、
国民が活動して産み出すものだと考えれば、
通貨というのは、
その国民が産み出したもの(商品)を
人から人へ、会社から会社へと受け渡しする「コト」
を証明する触媒に過ぎないものだと理解できる。

だったら、通貨なんて、世の中の取引量に応じて、
適正な数量を発行すれば良い。

国の人口が100万人だったら
100万人の経済活動に適した通貨量を、

その国の人口が増えて1000万人になったら、
1000万人の経済活動に適した通貨量を、

さらに、その国の人口が増えて1億人になったら、
1億人の経済活動に適した通貨量を、
発行すれば良いだけだ。

通貨の本質が「コト」だからこそ、
こういう風に考えることが出来るのだが、

にもかかわらず、
まるで、今も金本位制が続いているかのように錯覚し
通貨を「モノ」だと思うから、
国家予算は有限である、という観念になってしまう。
だから、上手くやりくりしないといつか破綻すると
勘違いするのだ。


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