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MMTへの誤解を解く その11 トランプ大統領へ

以下のメッセージは、
現在、全国で例の病気蔓延に端を発する
多くの狂言に異を唱えて
活動しているグループ「Q」に伝えるために
まとめたものですが、
一般向けに編集し直してあります。

ここまでの連載記事を一旦要約したような内容ですが、
通貨について、
普通の借用書とは性格が違うという話を加えていますので、
参考になればと思います。

***** (改訂版 2022.3.7)

そもそも、トランプ大統領は

「悪人どもは、こちら(Q)で退治するから、
 そのあと、自分の国をどうするかは、自分たちで決めて、
 自分たちでやってくれたまえ」

と、実に真っ当なことを、おっしゃっているのですから、
でしたら、
金本位制への移行を採用するか否かを決めるのも
<NESARA / GESARA>を承認するか否かを決めるのも
<QFS>のシステム導入可否を決めるのも
本当は、日本国民のはずです。
「もう決まったこと」であってはならないと切に思うのです。
だから、皆さんに「こういう問題がある」ということを伝えたく、
コメントさせてもらいます。
長ったらしいコメントなど面倒……とお思いかもしれませんが、
心を落ち着けて考えてくださる方が、
一人でもおられれば幸いです。

このメッセージによって、
金本位制が間違っているということを理解していただければ、
税金というものは、実は基本的に不要であり、
ということは、
国家運営は原理的には “ 無一文 ” で出来ることもわかるのです。
そもそも、「財源」という概念自体が虚構なのです。
「財源」という言葉は、
税金を徴収する口実として、とても便利ですが、
欺瞞でしかありません。

そして「通貨」は、
人口の増大、経済規模の増大に合わせて、
Gold や Silver の保有量の制約を受けることなく
発行できるということも理解できます。

最も申し上げたい結論は――
<QFS>は一旦白紙に戻して、ゼロから組み直せ。
旧弊的な金本位制を採用している時点で、お話にならない。
通貨に「価値の裏付け」は不要である。したがって、
国民国家の経済運営に、金貨・銀貨は不要である。
――ということです。
(もう遅いよ、という声が聞こえてきそうですが)

問題点は、他にもありますけれど
(ベーシックインカムの矛盾など)、
まずはこれだけでも。
その理由を和多志なりの言葉で説明します。
と言いますか、
経済のプロではない「ひとり学問」ですので、
和多志なりの言葉でしか語れません。
(専門用語で人を煙に巻く学者を信用してはならない
 という意味も込めて)

何より「お金とは何なのか?」という点での人々の勘違いを
明確にしておきたいのです。
金本位制という考え方は、その勘違いを土台としています。
誰でも、ついうっかり陥ってしまう、有りがちな勘違いですので、
誰彼を責めるべき話ではないと思いますが、
もしかしたら、本当にもしかしたら、ホワイトハットの方々の中に、
「これを利用して、Gold ・Silverで一儲けしてやろう」
などと、三次元的な欲望にかられている連中が紛れ込んでいて、
彼らがわざと仕組んだのでは?という疑念も
拭いきれていませんので、釘を刺して置きたい気持ちもあります。
(斯く言う和多志も、守銭奴みたいなところのある俗人ですが)

さて……
みなさん誤解されているのは、
金融の世界って、金の延べ棒がズッシリと膨大に用意されていないと
運営できない……そんなイメージがあるかもしれませんが、
本来は、そんな重々しい世界ではないということです。
国家財政も、本当は決して重々しい世界ではありません。
そう見せて来ただけです。

お金というのはただの「印」(しるし)です。
(和多志のblogでは「信号」と表現していますが)
それ自体に価値が有るか無いかは関係ないんです。
たとえば、一万円札という紙切れは、
原価20円という話を聞いたことがあります。
それで良いんです。
ただの紙っぺらであること、それ自体は、
詐欺でもなんでもありません。
詐欺かどうかは、それを誰が発行しているか?の問題です。

その「印」を「勤労」という国民の営みを介して
バケツリレーのように人から人へ受け渡しを行うことで、
物やサービスの流れが飛躍的にスムーズになることが大事なんです。
(以下 “ 物やサービス ”を略して、
 カッコつきで “ 「物」 ”と書きます)

たとえば、世の中には稀(まれ)に物々交換があります。
なぜ稀かというと、
交換する当事者同士が出会って、
交換価値が釣り合う「物」を
同時に持ち合わせている確率が非常に低いからですし、
更に、相手が持ち寄った「物」を互いに「欲しい」と思うかどうかの
一致も必要です。
もしも、たまたま一致した場合、
その物々交換の現場に「お金」は必要ありません。
なぜ必要ないかというと、「物」を直接に交換すれば済むからです。
当たり前です。
当たり前ですけど、「お金」とはその程度のものだと示すために、
一応、言っておかなくてはなりません。

想像の話をしますと、
たとえば会社づとめの場合ですと、
給料として、食糧や生活物資の現物支給にすれば、
「お金」は不要になります。不便ですけどね。
可能かどうかはともかく、想像の話です。

更に、受け取った現物支給品の中に不要なものがあった場合、
近所のスーパーマーケットという名の「現物交換所」へ
持って行って、本当に必要なものと交換できるような
社会システムを想像することもできます。

……と、こんな具合に、「お金」を必要とする場面を
どんどん削っていくことも出来るかもしれません。
あくまで想像です。
しかし、おそらくそれはとても不便な社会です。

もし、実際にこれをやってみたら、たとえば
ある日突然、冷蔵庫が壊れて、
急に新しい冷蔵庫が必要になった。
でも、それと交換できる不用品を持ち合わせていない、
みたいな場面が、いつか必ず訪れることでしょう。
そういう不便な状況を埋め合わせるのが「お金」の役割です。
(たとえ話が、あまり上手くなかったかもしれません)

そして、そういう「お金」を導入することで、
世の中の物々交換が、飛躍的に成立しやすくなり、
経済の循環が、何千倍も活発になるわけです。

さて、ここから原点に立ち帰った根本的な話になります。

現実の社会では、
交換し合う「物」をどちらか一方が
今、その場に持ち合わせていない場合がほとんどです。
現実にはそういう場面が99.999%以上でしょう。
そういう場合、
渡したい「物」を持っている人は、
まず、それを受け取りたい人に渡し、
受け取った人は、
「先に受け取りました」
という証明書を「印」として相手に渡します。
これが「お金」です。

たとえば、会社づとめですと、
会社員が産み出した有形無形の勤労価値を会社が受け取り、
「先に受け取りました」という「印」として
その会社員に給料という名の証明書を渡します。

こういう証明書のことを、普通、借用書と言いますね。
つまり、「お金」とは借用書なんです(信用貨幣)。

「先に受け取りました」というメッセージには、
「あなたも、この印を誰かに渡して、必要なものを受け取ってください」
という意味が含まれています。
借用書のバケツリレーが出来るわけです。
その意味では、これは世間一般の借用書とは、
ちょっと性質が違います。
普通、借用書は「返済」を前提として作成されますので、
登場人物は、貸す人と借りる人の
2人だけである場合がほとんどでしょう。

それに対して「お金」の場合、その役割は借用書ではありますが、

「何の貸し借りなのか」
「誰と誰の貸し借りなのか」
「何月何日の約束なのか」

といった具体的なことは記載せず、ただひたすら
「金額」と「今、誰が持っているか」だけが重要になる
非常に特殊な借用書です。
普通の借用書と区別するために、強いて名付けるとするなら

  ネットワーク型借用書

でしょうか。
斯くして、「時間差」物々交換が可能になるわけです。
つまり、どちらか一方が今ここに持ち合わせていなくても、
取引が可能になります。
更に、顔が見えない相手とも、
物々交換が可能になるわけです。

時間差物々交換――すなわち、
秋に収穫したお米と、翌年の春収穫されるイチゴの
物々交換が可能になる、ということです。
こういう時間の壁を取り払うことができるから、
取引の選択肢が飛躍的に増加し、よって
経済が活発になります。

会社づとめでせっせと貯めた「お金」で
家を買うのも、時間差物々交換と言えます。

「ネットワーク型借用書」として、もうひとつ大事なことは、
「公共物である」「誰もが使える」
という共通認識を、国民皆が持っていることです。
「お金」ってそういうものですよね。
誰かが個人的に紙に金額を書いて「お金」を作成しても、
それは作成した人のことを知っている友人・知人の間でしか
通用しません。

となると、これを発行できるのは
(普通は)政府だけということになります。
紙幣の場合の話ですよ。

こうしてみると、「お金」というのは、
国民が勤労で産み出した有形無形の「富」の交換を
潤滑に進めるための
ただの「ツール」であるということが
理解できるのではないでしょうか?

ここに、金貨・銀貨などの財宝めいたものが
関与する余地は最初からありません。
Gold に裏打ちされた借用書など、
ありえないのですから。

そして、「お金」はただの「ツール」なのですから
政府は経済の状況を慎重に勘案しつつ
原価20円の一万円札を、
国民の経済(ネットワーク型物々交換)を回すために
必要な適正量だけ印刷・発行すれば良いわけです。
証明書を発行するだけなのですから。
(現在の政府は、「国債の発行」という手続きを経て、
 通貨を発行しています)

<まとめ>

もとより「お金」そのものに価値はありません。
一万円札に「¥10,000」分の価値が宿っている(商品貨幣)と
感じるのは錯覚です。

国民にとっての本当の価値、もしくは「富」とは、
国民自身が勤労によって産み出す有形無形の成果であって、
「お金」とは、それを世の中に循環させるための
ツールに過ぎないのです(信用貨幣 / 別名、借用書)。

金貨や銀貨も、国民の勤労によって生み出された
成果の一部に過ぎず、特別なものではありません。
そんな金貨や銀貨を
「通貨の価値の裏付け」のために保有するとするなら、
それは、どういう事態を想定してのものなのか、
説明できる人はいるのでしょうか?

そもそも、政府には財源が必要であるはずもなく、
したがって、そのための税金の徴収など
意味がないということが、お分かりいただけると思います。
(税金には、別の役割がありますので、ゼロというわけには
 行かないようです。)

国家が膨大な量の金貨や銀貨を保有することは、
何らかの「権威付け」にはなるかもしれませんが、
実際の財政運営には、何の役にも立ちません。
無用の長物どころか、
貨幣観の誤解を招き、さらに
三次元的な欲望を喚起し、
犯罪の温床にもなりかねません。

国家が通貨を自前で発行している限り
国家が財政破綻することもありません。

国家というのは、財政面では
実は非常に身軽に運営できるということを、
国民は認識しておいたほうが良いかと存じます。

今、世界が金本位制移行へと
雪崩を打ち始めているようですね。
いつまでそんな三次元的な世界に閉じこもろうとするのかと
非常に陰鬱な気持ちでいます。
どうも、アメリカ人というのは、
19世紀の有名なゴールドラッシュ以来
Gold こそが富の根源だと勘違いしているようですね。
ホワイトハットの方々も、そういう観念に
引きずられているのではないでしょうか。

以上、長文にて失礼しました。
不謹慎と思われた方もおられるかもしれませんが、
よく考えてみてほしいのです。

近日中にEBS(世界同時緊急放送)が行われるかと存じますが、
そこで「通貨」についてホワイトハットの方々が、
どこまでちゃんと考え、どのように語るのか?
彼らがどういう貨幣観を持っているのか?
良く確かめ、本当はどうすべきなのか、
考えてみてほしいのです。

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