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高校は必要であるのか?塾だけで十分では?

 俺は塾に高校の卒業資格を発行する権利を与える。


背景

儒教系統の認識
(1)高校生は塾で同じ勉強をしていた。

ある生徒は学校で微分積分の授業を選択する。学校の終わり、その生徒は塾へと行って、同じ授業を受けていた。これは時間の無駄である。さらに悪いことに、生徒の一部は学校で塾の宿題をしていたし、学校の勉強をそもそも聞いていなかった。

これは授業の重複である。この現象は俺が高校に通っていたときから続いていた。現在も、変わっていないだろう。そして、当時でも、違和感を覚えていた。

儒教系統の認識
(1)結局、大学に合格するためには、塾が必要である。

言い換えると、ほとんどの生徒は大学に合格するためには、塾を必要とする。学校の勉強だけでは、不十分であった。

結論

儒教系統の認識
(1)高校は不要である。
(2)高校か塾かのどちらかに行けば、十分である。

生徒が高校に通わなければいけないのは、生徒の都合でなく、学校の都合である。学校の教師が解雇されたくないから、競争にさらされたくないから、彼らは塾に卒業資格を発行する権利を持たせようとしない。

もし塾が学校の役割を公的に担ったならば、学校の大部分は淘汰されるだろう。

理屈

ここでは、俺は下記の理屈を提示する。善悪は儒教系統の善悪である。

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