エロ漫画の規制に関する儒教系統の思考規範〜柳本智也〜
上記の関西人(大阪人)は「エロ漫画を真似て、犯行に及んだ」と言ったらしい(電飛1)。その後、エロ漫画の規制に関する叫びが生じた。また、それに対するエロ漫画を擁護する叫びも生じた。
以下では、筆者はエロ漫画に関する関する儒教系統の思考規範を提示する。
1.0 思考規範
1.1【儒教系統の思考規範】
もしある主体が「俺はエロ漫画を悪いと判断する」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を規制することができない。
もしある主体が「俺はエロ漫画を悪いと判断する」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を規制することができない。なぜなら、もしある主体が「俺はエロ漫画を悪いと判断する」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を悪いと判断していない。だから、エロ漫画は悪くないので、悪くないものが規制される必要はない。
1.2【儒教系統の思考規範】
もしある主体が「俺はエロ漫画を悪いとx教系統の善悪で判断する」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を規制することができない。
もしある主体が「俺はエロ漫画を悪いとx教系統の善悪で判断する」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を規制することができない。言い換えると、もしある主体が「俺はx教系統の善悪を持っている」と表現しないならば、その主体はエロ漫画を規制することができない。
なぜなら、もしもしある主体がx教系統の善悪を持っていないならば、その主体はエロ漫画を悪いと判断することができない。1.1により、エロ漫画は規制されない。
2.0 背景と大和民族の話し方
2.1【儒教系統の思考規範】
大和民族はエロ漫画を悪いと匂わすだけである。
大和民族はエロ漫画を悪いと匂わすだけである。今回の事件でも、彼らは「ほら、みろ。俺の言った通りやん」と言う。しかし、彼らは「俺はエロ漫画を悪いとx教系統の善悪で判断する」と表現しない。
酷い場合には、彼らは性的暴行それ自体を悪いと判断していない。なぜなら、彼らは「俺はこの性的暴行を悪いと判断する」と表現していない。彼らはひどいや信じられない、許されないというだけであり、彼らは善悪の判断を下していない。
また、彼らはエロ漫画が規制されなかった結果、こんな事件が生じたと匂わすだけである。彼らは「エロ漫画がこの事件を(因果的に)導いた」とはっきりと表現しない。
3.0 規制の仕方のとある例〜おまけ〜
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