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【資本主義】創造主と所有【共産主義】

創造主と所有

儒教系統の理屈
(1)もし創造主がこの世界を創造したならば、その世界は創造主の所有物である。
(1)もし(1)が善であるならば、俺らは何かを所有することができない。

もし創造主がこの世界を創造したならば、俺らは何かを所有することができない。なぜなら、この世界は創造主のものである。このとき、民は富を個人的に所有することができない。

この理屈を突き詰めると、国家の民は富を個人的に所有することができない。だから、創造主の意志を組む政府(または、聖職者)が神の意志を読み取り、一元的に管理・統治する。これは共産主義的な考えに似ている。神が創造したものを勝手に所有するのは強奪である。

一方、資本主義は(1)の理屈を否定するように思える。または、統治者には、富を管理させない。だからこそ、個人が富を所有することが資本主義では正当化されている。資本主義が上記の理屈を否定しない場合、創造主はこの世界を創造したが、個人が富を所有できるという立場が存在する。

創造主と神の声

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