【儒教】自分の理屈を持っていない主体の対処法について
大和民族は自分の宗教を持っていないので、彼らは自分の宗教系統の理屈も持っていない。そのため、彼らは平等や公平、相互性や統治、人種や民族に関してめちゃくちゃなことを言う。
そして、たとえ俺が注意するとしても、彼らはこの種の理屈未定義の状態や行為を改めようとしない。この状態を排除するために、俺は次の思考規律を提示する。
背景
儒教系統の認識
(1)ある種の主体は自分の理屈を持っていない。
言い換えると、ある種の主体はいやいや期の子供と同じである。例えば、元大阪大学の菊池誠は他人のデマを決して許さないが、自分のデマには無関心である。さらに、彼は平等を主張するが、二重国籍を要求する。
菊池誠は大学の自治を主張するが、大学が衰退すると、「文部科学省の競争的な資金が~」といって、文部科学省のせいにしようとする。このように、菊池誠の言っていることは基本的にめちゃくちゃである。
さらに、菊池誠はアイヌ人も日本人もみんな日本人と言って、アイヌ人を抹殺しようとしたり、民族を誤魔化そうとする。このように、彼はイヤイヤ期の子供のように話す。なぜなら、菊池誠は自分の宗教系統の理屈を持っていない。
理屈未定義
儒教系統の思考規律
(1)もしある主体が自分の理屈を持っていないならば、その主体は任意の理屈を自分の理屈に違反すると認識することができない。
(2)もしある主体が自分の理屈を持っていないならば、その主体は任意の理屈を自分の理屈に違反すると判断することができない。
例えば、俺が「もし菊池誠が”あ”と言ったならば、菊池誠はナチスである。」という理屈を作る。このとき、もし菊池誠が自分の宗教系統の理屈を持っていないならば、菊池誠はこの理屈を自分の理屈で否定することができない。菊池誠はこの理屈を自分の理屈に違反させることができない。
もし菊池誠がこの状態を嫌うならば、そのとき、菊池誠は自分の理屈を持ち、彼は「俺はその理屈を悪いと判断する。なぜなら、その理屈は俺の理屈に違反する。」と彼自身の言葉で表現する必要がある。もし彼がそれを実行できないならば、そのとき、彼はこの理屈を受け入れざるを得ない。
理屈と人間
儒教系統の思考規律
(1)もしある主体がx教系統の人間であるならば、その主体はある宗教系統の理屈を持っている。
対偶を取ると、もしある主体がある宗教系統の理屈を持っていないならば、その主体はx教系統の人間でない。口語的には、人間と動物の違いとは、自分の理屈を持っているのかである。動物に近い個体は自分の理屈を持っていない。だから、それらの言ってることはめちゃくちゃである。
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