【原罪】神山翼とお茶の水女子大学は性規範(性規律)を持っているのか?
神山翼の性嫌疑惑が発生した。現時点では、この疑惑が事実であるのかは不明である。神山翼は沈黙している。
この文章では、たとえ神山の疑惑が事実でなかったとしても、現在の神山には問題が存在することを提示する。それは宗教的な性規範の欠如である。神山は自分の性規範を持っていな可能性があるので、その場合、彼の行為の全ては何ら性規範に違反しない。
神山翼の問題
儒教系統の思考規範
(1)もし神山翼が自分の宗教的な性規範を持っていないならば、たとえ神山翼が女子高生を教師の立場で強姦するとしても、神山翼はその行為を悪いと判断することができない。
なぜなら、そのとき、神山翼の強姦行為は彼の性規範に関する決まりに違反しない。現在、神山翼の性嫌疑惑が発生している。これが事実であるのかは不明であるが、俺の印象では、「神山翼は自分の性規範を以て、性嫌を悪いと判断することができるのだろうか」と疑問に思う。
言い換えると、神山は女子高生や女子大生への神山の発情を神山の性規範と照らし合わせて、その発情を悪い、またはその発情を違反と認識することができるのだろうか?
神山は自分の宗教や所属文明を自分の言葉で表現しないので、神山の任意の性的行為は何ら宗教的な規範を違反しない。この状態で、女子大の教師をやっているのは恐怖である。たとえ彼が何ら問題を起こさないとしても。
お茶の水女子大学の問題
儒教系統の思考規範
(1)大学教員に性規範を持たせない。
例えると、お金の貸し借りをするとき、契約書を書こうとしない。大学教員の性がだらしないのは、それぞれの教員が自分の宗教的な性規範を持っていないからである。その結果、彼らは自分の性的な行為を自分の性規範に違反させて、悪いと判断することができない。
この状態では、たとえ大学が厳しい罰則を設けるとしても、構成要員である教員が性嫌を悪いと判断できないので、性嫌がいつまでもなくならない状態になる(ばれなきゃいいやの精神で)。学生や親の視点から見ると、何の性規範も持っていない教師は性的に怖い。何をするのかがわからないので…
神山のDMが事実であるのかは不明であるが、もし事実であるならば、神山は自分の性規範を持っていないように見えてしまう。大学からの罰則が社会的なものであるとすると、宗教的な規範を持ち、それに沿って生きることは個人的なものである。性に関して、社会と個人の両方からの接近が必要である。
例えば、殺人に関しても、殺人を悪いと判断するという個人的な規範と殺人罪と言う社会的な規範(法律)の両方が必要である。大学の決まりや憲法を引用するだけでは不十分であり、神山は「俺はx教系統の性規範を持っている。だから、俺はこれこれの性的行為を悪いと判断する」と自分の言葉で表現する必要がある。