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藤巻健太衆議院議員の発言は悪いのか?〜維新の会と三角関数と金融リテラシ〜

藤巻健太衆議院議員が、金融教育をテーマに「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」と財務金融委員会で話したことについて、異論や反論が起きています。

https://agora-web.jp/archives/220518204342.html

 藤巻健太は維新の会の衆議院議員である。彼は三角関数よりも金融経済を学ぶべきでないかと発言した。その後、彼の発言は炎上した。

しかし、俺が藤巻健太の発言を見ると、彼はそれほどおかしいことを言っていないように見える。また、藤巻健太に対する返信の大部分は侮辱や中傷、言いがかりに過ぎず、まともな意見がないように見える。

以下では、俺は藤巻健太の発言と藤巻健太に対する返信を認識して、その認識を提示するつもりである。

画像:https://unsplash.com/photos/gnyA8vd3Otc

藤巻健太の発言

「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」 金融教育をテーマに、財務金融委員会で議論させて頂きました。三角関数は人類の叡智であり、私達の生活の基盤を支えているものです。しかし特定の職業に就く方々に必要とされる専門知識の範疇ではないでしょうか?全国津々浦々の高校生に教える知識としては、三角関数よりも金融経済の基礎の方が優先度が高いと考えます。

当然ですが、高校生の勉強時間は限られています。更なる知識をカリキュラムに組み込むなら、他の何かを削らなければなりません。三角関数よりも、金融経済の基本や複式簿記、ITリテラシーや臨床医学・栄養学の方が、彼らの人生に大いに役立ってくれると考えます。私の言う金融経済とはいわゆる金融リテラシーのことです。株や為替や国債とは?から始まり、保険・年金・投資信託・デリバティブとは?住宅ローンの変動・固定金利どう違うのか?多くの人にとって、人生を生きる上でそういった知識の方が、三角関数よりも必要だと考えます。

小学校の算数、中学数学はその概念・考え方を学ぶ上でとても重要だと思います。しかし高校数学は専門知識の側面が強いのではないでしょうか?三角関数などは、その道に進む人が大学で学べばいいと考えます

https://twitter.com/Kenta_Fujimaki

 上記が藤巻健太の呟きである。俺が彼の発言を見ると、俺は彼はそれほどおかしなことを言っていないように思える。彼は三角関数よりも、金融経済の基本や複式簿記、ITリテラシーが彼らの人生に大いに役に立つと言っている。

俺は彼のこの発言は事実であると審判する。たとえある生徒が三角関数を知っていたとしても、もしその生徒がお金の管理やお金の基本、簿記やITリテラシーを持っていなかったならば、彼は彼自身の人生をうまく形成することができないだろう。

実際、連帯保証人にならないという知識は三角関数よりも多くの生徒にとって重要である。避妊具をつけるという知識は三角関数よりも多くの生徒にとって重要である。

 世の中の生徒のほとんどが知的でない。世の中には、12が偶数であるか、奇数であるのかを認識することができない生徒がいる。その種の生徒にとって必要なのは、お金に関するやり取りや性に関する知識、契約や法律に関する知識である。

三角関数は生徒の職業に関する選択肢を広げるが、それ自体が生徒の個人的な人生を形成しない。俺もまた生徒はお金に関するやり取りや性に関する知識、契約や法律に関する知識を学んだ後に、彼らは三角関数を学べば良いと審判する。

反応

 以下では、俺は藤巻に対する反応について述べるつもりである。大和民族は
感情的であり、彼らは脊髄反射で藤巻を侮辱しているように見える。

1番目の反応には、癇癪と論破ぐせ(叩きたいだけ)がある。大和民族は癇癪(ヒステリ)を起こして、藤巻を論破しようとしている。さらに、彼らはオタク的な知識を披露して、三角関数がいかに役に立っているのかを早口で披露する。

しかし、彼らは藤巻の発言を読んでいない。彼は限られた時間の中では金融知識やその他の知識は三角関数よりも個々の人生において重要であると言っている。この場合、大和民族は三角関数は金融知識よりも個々の人生において重要であると返答する必要がある。

実際、太陽は俺らの生活に役に立っているが、生徒が太陽の運動を学校で学ぶよりも、金融知識を学校で学んだ方が良いだろう。また、外交文書の書き方も世界で役に立っているが、生徒がそれを学校で学ぶ必要はない。なぜなら、生徒個人がその書き方を学ぶ必要はない。

2番目の反応には、無関係な指摘がある。大和民族は藤巻の発言それ自体の善悪を判断せずに、彼らは藤巻は慶應大学経済学部を卒業したと指摘して、彼は大学で遊んでいたと指摘する。そして、彼らは何かを言った気になっている。しかし、俺はこの種の大和民族は何を言いたいのかを理解できない。

https://twitter.com/TeleworkerY/status/1527111871710785536

上記の発言が典型的である。彼は大学教員であるが、彼は藤巻の人物それ自体を侮辱していて、彼は藤巻の発言の善悪を判断していない。この種の大和民族は少なくない。彼は「藤巻の発言」にのみ言及するべきである。

彼の発言の善悪や是非は彼が大学で遊んでいたことと無関係である。しかし、大和民族は藤巻に嫌がらせをして、彼を引きずり落とそうとする。この種の発言は卑怯である。

https://twitter.com/MasakiOshikawa/status/1526868710727643136

上記の発言も奇妙である。押川正毅は上記の主張は論外であると言っているが、彼はなぜ彼の発言が論外であるのかを述べていない。彼は藤巻の発言が論外であると何となく匂わせているだけである。

さらに、押川正毅は上記の学者と同様に、彼は「「慶應義塾大学経済学部卒業だそうで、ますます絶望感が..」」と呟いた。彼もまた藤巻の発言に無関係な何かを指摘して、藤巻の発言を間違っていると匂わしているように見える。

さらに、押川は彼の無根拠な侮辱的な憶測aとbとcを提示している。彼の行為は三角関数の必要性に関する議論において、第三者が押川の醜い容姿や禿げた頭に言及する程度には侮辱的である。

彼らの発言は患者が医者の発言を批判すると、関西人の医者が「お前は高卒のくせに」や「医者に嫉妬している」と返答するような行為である。しかし、医者のその発言の正しさは学歴の指摘とは無関係である。医者も患者も彼ら自身の発言の正当性を主張する必要がある。

押川正毅も上記の学者も自己の発言の正当性を主張する必要がある。藤巻は自己の意見の正当性を主張した一方、押川正毅は上記の学者は相手の学歴を指摘して、勝った気分になっているだけである。彼らの行為は非常に卑怯である。

おまけ なぜ炎上

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