俺ら(katotoorera)の政治信条〜大学の自治に関する理論と実践〜
以下では、俺は大学の自治に関する理論と実践について述べるつもりである。
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1章 背景
俺の認識 たとえ俺が大和民族の学者は自己の組織すら統治することができないと指摘するとしても、大和民族の学者は知らないくせに批判していると返答する。
たとえ俺が大和民族の学者は自己の組織すら統治することができないと指摘するとしても、大和民族の学者は知らないくせに批判していると返答する。ひどい場合には、彼らは批判に対する批判、つまり批判に対する粗探しを繰り返す。しかし、外部から見ると、大和民族の学者は大学もアカデミア社会も全く統治することができていないように見える。
実際、彼らは契約相手を馬鹿やくず、とんでもを侮辱している。にも関わらず、他の学者は彼らを処分することができていない。その結果、侮辱者が放置されている。もし俺が正常な感覚を持っているならば、その時、俺は大和民族の学者は大学もアカデミア社会も全く統治することができていないと審判する。しかし、上記でも述べたように、大和民族の学者はその批判を認めず、論破しようとしてくる。
2章 統治の判定と決まり
俺の認識 もしある主体が自己の組織を統治する理論を持っていないならば、その時、その主体はその組織を理論的に統治することができない。
もしある主体が自己の組織を統治する理論を持っていないならば、その時、その主体はその組織を理論的に統治することができない。上記の問題の解決案がこれである。たとえ大和民族の学者はその批判を認めないとしても、俺はもし大和民族の学者が自己の組織を統治する理論を持っていないならば、その時、その主体はその組織を理論的に統治することができないと審判する。
この時、上記のごねる問題が解決される。実際、自己の組織を統治する理論が存在しない状態とは、サッカーのルールや統治機構がない状態である。その場合、ほとんどの人間はこの種の人間は自己の組織を統治する能力を持っていないと審判するだろう。もしある運動選手が自己の運動競技のルールや統治機構、そして理論を持っていないならば、その時、その運動選手は競技することができないと言える。
俺はこの考えを大学における統治にも応用する。そして、俺は学者が自己の組織を統治することができてこなったと結論づける。なぜなら、彼らは自己の組織を統治する理論を持ってこなかった。
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