森康彦牧師と覚醒剤とホザナ・ハウス〜「Colaboと仁藤夢乃さんを支える会」の言明の差し替え〜
以下では、筆者は上記の一般的な問題点について述べる。牧師は否認している。なお、Colaboに関する声明は以下である。
https://colabo-official.net/wp-content/uploads/2022/12/747879394cadb615186e3da78afd17ad.pdf
1.0 問題点
以下では、筆者は今回の事件におけるシステム的な問題点を提示する。たとえたみがこの牧師を叩くとしても、類似した現象が発生するだろう。
1.1 統治の欠如
1.1(儒教系統の認識)
大和民族は対象を統治することができていない。
大和民族は対象を統治することができていない。この対象には、無生物や家畜や人間(サピエンス)が含まれる。元暴力団が牧師になったり、反社会性を維持した状態で、ある種のちゃんとした団体(Colabo)に関係するのは組織の腐敗である。
一般的に、反社会集団がある種の組織で台頭するのは腐敗の象徴である。そして、その腐敗はある種の集団が自己の組織をまともに統治することができていないことを暗示する。
上記のような現象は今回の牧師だけでなく、暴力団の息子である橋下徹や野田聖子の夫、または東谷義和(チンピラに近い)にも言える。ヤクザやチンピラが統治者や宗教関係者をやっているのは異常である。
1.2 統治の軽視
1.2(儒教系統の認識)
大和民族は統治を軽視する。
大和民族は統治を軽視する。特に、関西人は統治を軽視する。その結果、誰もヤクザを統治することができなくなって、彼らはヤクザを台頭させる。
統治の軽視は医者や学者、特に科学者や数学者や弁護士にも観察される。また、本田圭佑のようなサッカー選手にも観察される。彼らは彼ら自身は人類の役に立っているのだから、偉いと勘違いして、彼らは統治に参加しようとする。
しかし、彼らは選手としての競技能力を持っているとしても、彼らは統治能力も社会形成能力も持っていない。そのため、彼らはヤクザを統治できず、彼らを台頭させて、ヤクザに逆に支配されるようになる。すると、彼らは政府という統治者に助けてもらおうと泣きついている。または、国民を見捨てるのかと言って、逆ギレする。
1.3 百姓による支配
1.3(儒教系統の認識)
大和民族は単なる選手(百姓や平民)が社会形成者や統治者を担おうとする。
大和民族は単なる選手(百姓や平民)が社会形成者や統治者を担おうとする。しかし、百姓は単なる平民であり、彼らは社会形成も統治者も担うことができない。そのため、彼らはヤクザを統治することができず、彼らはヤクザの台頭を許す。
さらに悪いことに、百姓は台頭したヤクザに容易に支配されるようになる。彼らはちゃんとした統治者には高圧的に出るが、ヤクザのような怖い人間が統治者として台頭すると、ビビって、彼らには何も言えなくなる。
百姓による支配の代表的な例は東谷義和の台頭である。彼は統治者になったのにも関わらず、彼は国民の情報を暴露して、恐怖や嫌がらせで、彼の民を支配しようとする。そして、百姓は暴露されることを恐れて、ビビって何も言えなくなる。言い返してこない、安倍晋三には侮辱できる。
百姓は統治が何であるのかを認識することができない。そのため、彼らは統治を芸能ゴシップや娯楽、単なる秘密の暴露か何かであると感じている。また、百姓は暴露されることを恐れて、彼らは東谷義和というチンピラに屈するようになる。
1.4 犯罪者崇拝
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