元大阪大学の菊池誠(キクマコ)の財務省陰謀論は何が問題であるのか?
菊池誠は財務省陰謀論にハマっている。しかし、彼は昔から論理的でなく、支離滅裂であってきたので、この状態は驚きでない。
以下では、俺は菊池誠の問題点を述べる。それは菊池誠は自分の社会を自分の言葉で作るつもりがないことである。言い換えると、菊池は言葉を軽視している。
問題点
言葉の軽視
問題点1:菊池誠は自分の社会を自分の言葉で作るつもりがない。
これは日本人学者へと拡張される。彼らは自分の社会を自分の言葉で作るつもりがない。そのため、彼らの発言は論理的でなく、支離滅裂である。彼らは自分の社会を作るために「論理(思考の規範と言い換えても良い)」を使うつもりがない。
菊池誠が典型的であるが、彼の発言は陰謀的だけでなく、昔からずーっと支離滅裂であってきた。都合が悪くなると、「ヒトが死ぬ!」や「差別!」と病的な癇癪を起して、騒いで喚いて、他人を自分の感情で黙らせようとしてきた。
さらに悪いことに、菊池誠は他人を「馬鹿」や「アホ」や「トンデモ」と侮辱する。彼の侮辱もまた菊池誠は自分のちゃんとした社会を自分の言葉で自分で作るつもりがないことを示唆している。
規範の欠如
問題点2:菊池誠は思考の規範を持っていない。
菊池誠は自分の社会を自分の言葉で作るつもりがなく、かつ彼は思考の規範を持っていない。その結果、菊池はめちゃくちゃな発言を繰り返したり、財務省陰謀論にハマり、感情的に喚き散らす。
思考は脳の運動であるが、菊池誠はその運動を制御する規範を持っていない。例えば、サッカー選手はサッカーの決まりに沿って運動し、キリスト教徒はキリスト教の決まり(思考の規範)に沿って、自分の脳を動かす。
しかし、菊池誠は宗教や文明が授ける脳の動かし方に関する決まり(規範)を持っていないので、めちゃくちゃなことを平気で言う。例えば、彼は相互性に関する脳の運動に関する規範を持っていないので、他人のデマや陰謀論には不寛容であるが、自分のデマや陰謀論には寛容である。
もし菊池誠が相互性の欠如を悪いと判断するような思考の規範を持っていたならば、彼は他人のデマや陰謀論に寛容であるか、自分の陰謀論に不寛容である。しかし、彼は宗教などが授ける思考の規範を持っていないので、何でもありな状態になり、支離滅裂で何ら論理的でないことを平気で喚き散らし続ける。
解決案
便宜的な解決案を述べよう。
次を言え!
解決案1:「俺は自分の社会を自分の言葉で作る!」と言え。
とりあえず、これを言うだけで十分である。なぜなら、このとき、この発言に関する矛盾が生じる状況が形成される。この矛盾が生じる状況を作るだけで十分である。上記を言えない人間が本当に多い!
思考の規範を持て!
解決案2:「俺は自分の思考の規範を持つ」と言え。
より具体的には、「俺は明文化された思考の規範を持つ」と言え。さらに具体的には、「俺はx教系統の明文化された思考の規範を持つ」と言え。これだけで十分である。「君はどの宗教系統の思考の規範を持っているのか?」という質問に回答できる状況を作れれば十分である。