「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたんだろう」- リアル脱出ゲームに至る道
ずっと不思議に思ってきたことがある。
それは「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたのか」ってこと。
この巨大な謎についてそろそろ向き合ってみようと思っている。
リアル脱出ゲームを思いついた時、僕は何者でもないただの無職の33歳の青年で、なんの技術もなく特別な与えられた場所も持っていなかった。
うだつの上がらない自称ミュージシャンで、わけのわからないフリーペーパーを京都で作っていた。
謎なんて作ったことなかった。
しかもあの時僕が始めたリアル脱出ゲームは、コピー用紙をペタペタ壁に貼って、鍵のかかった箱をおいて、いくつかのドライバーを棚に隠しただけの代物だった。
そんなの誰にだって始められる事だ。
世界中の誰にだって等しくチャンスがあり、それを思いついて実行しさえすれば、その遊びは世界中に広まっていっただろうし、ちょっとしたムーブメントの中心にいることができた。
なぜそれを、僕が出来たのか。
例えば僕がリアル脱出ゲームを思いつくために様々な努力をして、あらゆる可能性を考え尽くし、長年の研究の果てに思いついた!とかならまあ話はわかりやすいのだけど、なんとなくふと思いついて、ちょっとやってみたらその数年後には世界的な遊びになっていたのだ。
そんなことを考えるきっかけになったのは、Sさんというここ7年くらいの飲み仲間ととある中華料理屋で飲んでた時の会話に端を発する。
Sさんとは某有名アーティストとの仕事がきっかけで出会ったのだけど、彼はもうその職には就いておらず、個人で様々なアーティストを手がける名マネージャーとして活躍している。
僕も日々自社のクリエイターと接する仕事をしているので「クリエイティブをマネージメントするとは」みたいなテーマでよく飲んでいた。
僕のマネージメントの基本は「自分が思いつくアドバイスはすべて伝えた上で、最終決定はすべて本人にしてもらう。そしてなるべくたくさんの作品を世に出す」ってことだけだ。
言葉で言うと簡単なように聞こえるかもしれないけれど、これがなかなか簡単な事じゃない。
相手が気に食わない決定をしたら気に食わない顔をしてしまうし、自分の言うとおりにしたほうがもっとうまくやれるのにっていう雰囲気を出してしまう。
懸念点をすべて伝えたうえで相手に決めてもらう。そしてその結果が出たところで話し合う。こういうこと実はそんなに簡単じゃないし、僕自身も完璧に出来ているわけじゃない。
Sさんのマネージメント論もそれと似ているところがあって、とても簡単にまとめると「正解はアーティストの中にあるから、マネージャーにできることはそれを邪魔しない事だけ」という感じだった。
なので、僕らは数か月に一度会って、近況を報告しあったり、代理店の悪口をいったり、お互いの知人を紹介しあったりしていた。
で、2021年のまだコロナ吹き荒れる時期の中華料理屋で僕はいつものようにSさんと向かい合って飲んでいた。
ある程度お互い酒も回ってきた頃に、僕がぽろりと「実は脱出ゲームをリアルにやるっていうアイデアは俺たちが世界初だ!って主張してる人たちがヨーロッパにいるんですよねー」という発言をした。
それを聞いたSさんが、しばらく何やら思案した後で「加藤さん、それはちゃんと反論しておいた方がいい」と言い出した。
僕はどちらかというと、過去に誰が最初にこの遊びを発明したのか?よりも今一番面白い遊びを作っているのは誰か?のほうが価値があると思っている、という話をSさんにしたのだけど「その話とこの話は別です。比べるようなことじゃない」というような事を言った。
そんな話をしながら、まあ確かに少なくとも僕側の真実みたいなものはどこかに文章として残しておいてもいいのかもなあと、ふと思った。
僕が当時の記憶を書いたところで「なるほどこれは間違いなく加藤が世界初だ!」という決定的な証拠になるわけではないだろうし、ヨーロッパの人たちの主張がどういう種類のものかもわからないけれど、ひとまず僕が思う真実を残しておくことには意味があるのかもしれない。
そして「俺こそが世界初だ!」と主張したいという気持ちよりも「あの時起こったことをちゃんと振り返って言葉に残しておきたい」という気持ちが強くこみあげてきた。
そして思った。
あの時起こったことをきちんと書いていけば「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたのか?」の答えにたどり着くかもしれないと。
それをきちんと振り返る文章なら書いてみたいなあというような事をSさんに話してみると「そうだ!そうだ!それはいい!」みたいな空気感になって「書くならもう子供時代から書こう!そしてリアル脱出ゲームを思いつくまでを克明に書いていけばいい!」なんていう話の流れになった。
Sさん曰く、リアル脱出ゲームを思いついたのは数分のブレストがきっかけだったかもしれないけれど、その「思いつき」が発生するためには30年近い年月が必要だったのだ!と。
そんなわけで、このお話は僕が5歳のときからはじまって、リアル脱出ゲームを思いつく2007年7月7日で終わる。
読んでいる人からすると、平凡な幼稚園時代の思い出とかを読まされることになるので、まあ気の毒な気もするけれど、それもロードトゥーリアル脱出ゲームというか、リアル脱出ゲームを思いつくまでの道のりがどこから始まってて、どこにきっかけがあったのかを探る旅にご同行していただくという趣旨なので、しばしお付き合いいただけるとうれしい。
もちろんこれを今書いている僕にだって、この話の結末がどうなるのかはわかってない。色々と振り返った結果「やっぱりなんとなく運や勘でたまたま思いついた」っていう結論になるのかもしれない。
なにか明確な根拠や、学ぶに足りうるような教訓などは見つからないかもしれないし、読んでいて面白いものかどうかもわからない。ただ、僕はこの16年間何度も何度も「なぜ僕にリアル脱出ゲームを思いつけたのか」を考え続けてきた。
その結果、そこにはちょっとした理由があるんじゃないかという直観めいた結論がぼんやりとある。
その理由をきちんと説明するにはかなりの時間と、かなり正確で丁寧な言葉が必要な気がしている。
複雑な図形を描き出すときにまず最初は稚拙に見える補助線から書き始めないといけないように。
せっかくSさんにいただいた機会なので、遠回りになるかもしれないけれど、幼少の砌の話から始めたいと思います。
少し長い話になるかもしれません。
もしご興味のある方は、しばらくおつきあいくださいませ。
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