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俺も太宰治も土産に苦しめられた人間である
母と一緒にテレビで「八つ墓村」の映画を観た。
トヨエツが金田一役のやつだ。
白石加代子が大暴れしていた。
事件が落着し、金田一耕助が村を出発する。
金田一が下宿していた宿のおかみさんが、裏から大きな一斗樽を抱えて出てくる。
「なにすんだ、そんな樽をもってきて」
と宿の亭主が質問すると、
「これ、味噌。金田一さんにお土産。うちの味噌汁おいしいって言ってくれたから」
とおかみさんは身悶えする。
味噌汁褒められたのがよほど嬉しかったらしい。
「そんなもの、どうやって持っていくんだ、じゃまになるじゃねえか」
と亭主にたしなめられ、結局味噌はあきらめて下駄をお土産にすることになる。
これを観ていた母が、
「いいじゃないのね、味噌。渡したら」
などと能天気なことを言った。
金田一が味噌樽を抱えて途方に暮れる様を想像して、私は唖然とした。
そして血は争えないと思った。
*
学生の頃、岩手の母の実家で遊び呆けていたら、秋田の友人がこっちにも遊びに来いと誘ってくれた。
祖母に、一週間ぐらい秋田に行ってくるからと告げると、ぜひうちで採れた新米をお土産に持っていけという。
私は電車で秋田に行くのである。
重いのは嫌である。
長い交渉の結果、三升だけ持っていくことにした。
三升といったって約5kgある。
私は辟易した。
*
祖母が倉庫に行って、新米をザラザラと五合枡ですくって袋に詰め始めた。
尋常でない往復数である。
私は不安になった。
「もう三升どころじゃないよ、ストップストップ!」
と声をかけたが、祖母は大丈夫、まだ入るといって聞かない。
五合枡も止まらず、せっせと米を袋に運んでいく。
いったい何kgになったんだろう。
多すぎるのではないかと文句を言うと、祖母はそんなことはないという。
証拠を見せるとて、天秤にひょいと乗せ、ほら5キロと言ってすぐに秤からおろしてしまう。
あきらかなごまかしだ。
米袋をそのままではお土産っぽくないし、取っ手がないと持ち運びにも不便、ということで、二重にした百貨店の紙袋に米袋を入れた。
ファッションアベニューカワトクのLLサイズ紙袋が米ではち切れんばかりになっている。
持った瞬間に、20kg近くあるな、一斗じゃねえかと心の中で毒づいた。
*
盛岡駅でカワトクの袋は力尽きた。
持ち手がちぎれたのだ。
私はしかたなく登山用リュックを買って、それに米袋を詰め直した。
米だけで30L表記のリュックがいっぱいになった。
友人の家について、これ祖母からお土産ですとお家の方に米を渡した。
こんなにたくさん!?と皆驚いた。
「祖母は5kgと主張していました」と伝えると、お家の方が米袋を秤に乗せてくれた。
やはり20kg以上あった。
というか25kg近くあった。
よく運んだと友人およびその家族から褒められた。
*
太宰治の「お伽草子」に、舌切雀の項がある。
この話のお爺さんは大きい葛籠も小さい葛籠も持って帰らない。
それはなんでかというと、荷物を持って帰るのは嫌だというのである。
雀もタダで帰すわけにはいかないという。
問答の結果、雀の簪を持って帰ることになった。
稲の穂である。
山奥にある雀のお宿に行ってきたというお爺さんの話を、お婆さんは信じられない。
現実的な性格のためである。
お婆さんは、実際に雀のお宿があるか確かめるべく、山へ入る。
そうして大きな葛籠をもらって帰って来るのだが、道中葛籠の重みに耐えきれず、遭難して亡くなってしまう。
発見されたお婆さんは葛籠の下敷きになっていて、葛籠には金銀財宝がいっぱい詰まっていたのだった。
こんな恨みがましい話を書くのだから、私が思うに、太宰も私同様土産責めにあって苦しんだことがあるにちがいないのである。
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飯の記録、近日復活