デカい手帳のほうが仕事ができるという風潮
私のまわりだけかもしれないが「デキるビジネスパーソンはデカい手帳を使う」という風潮がある。
のこり少なくなった紙手帳派は、今もパソコンのよこにダイヤリー的な黒光りするやつをドンと置いて仕事している。
立派である。
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過去に私を教育しようとした上司の方々もデカ手帳派に属していたものだから、私もデカい手帳を使わざるをえなかった。
ところが私は三河屋のサブちゃんが注文取るときに使うような豆手帳に、短い鉛筆でみみっちく予定を書くのが好きだったのだ。
それで隙を見て小さい手帳を使ってみるのだけれど、しばらくすると見つかって、
「なんでそんな小っこい手帳にメモってるんだよ。デカいの、使えよ」
と言われ、デカいのに矯正されてしまう。
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私がデカい手帳を嫌うのは趣向のためだけではなく、実際的な問題もあった。
デカい手帳はどっかにやってしまうのである。
手帳をなくす=勤め人として終わるといって過言ではない。
よって私は社会人になってからまだ20年も経っていないのに、何度も勤め人としての終末を迎えてきた。
これは不思議、デカければ逆になくしにくいのではないかと思う向きもあろうが、さにあらず、小さければ小さいほどなくさないのである。
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なんでそうなるかというと、デカい手帳はポケットに入らない。
それでやむを得ず、テーブルの上とか、そのへんに置いてしまう。
私の性質として、一旦どこかに置いたものは存在が脳から消え去ってしまうのであり、結果、紛失してしまうのである。
一方小さい手帳はポケットに入る。
これは重要で、私はポケットに入っているものは紛失しない。
なぜなら私の中には魔法の数字があって、それはポケットの中に入っているべきオブジェクトの数である。
私は常にポケットのなかを探って数を数えており、それが魔法の数字とズレた瞬間、紛失警報が発令される。
これで何度も飯屋やトイレからスマホを救出してきた。
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いまは非正規雇用になって、私を教育しようとする人なぞいなくなったから、小さい手帳を存分に使える。
ところが非正規になったら書くべき予定がほとんどなくなってしまったので、手帳が読書記録媒体と化した顛末は以前書いた。
1月始まりの手帳使いにとって、年末は手帳選びの季節であり、少々早いが私も本屋で来年の手帳を買ってきた。
様々勘案し、高橋書店のNo.140という小さくてかわいいやつにした。
来年が楽しみだ。