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脳爆発の理論と実践

光の雨

光の刺激というのは指数関数的な動きをする。
ちょっと光の量が変わっただけでも、刺激はものすごい変化をする。

ところで生き物は目で光の刺激をうけとる。
光の刺激を情報に変えて脳に伝える。
この際、もとの刺激をそのまま伝えると脳が疲れてしまう。

「脳様!
いま光は10刺激です!
あ、20,000刺激に変わりました! 
うわ、今度は50,000,000,000,000,000,000,000,000刺激だ!」

みたいなことをされたら、強者に出会ったときのスカウターのように脳も爆発してしまう。

それで脳に伝える前に対数変換して一次関数に直しておく。
刺激の変化を穏やかにしておくのだ。
これで脳は冷静に光の刺激を処理して、ああ、今はこんな感じの明るさなんだなと落ち着いて判断できる。

まことにうまい仕組みである。

ちなみに比例関係に直してしまうと、光がない時刺激もゼロになる。
脳に送る情報がなくなってしまう。
そうすると脳が途方に暮れる。

光がないときは、
「光がないですよ、脳の旦那!」
と伝えてあげたほうが、視神経の立場的には親切だ。

だから比例ではなく一次関数に直すのである。
これで光の量ゼロのときは、ゼロですよという情報が送られるようになる。

みたいなことを以前、本で読んだ。
タイトルを忘れた。
中公新書だと思う。

指数関数

それで自分が思うに、この世の刺激はだいたい激烈な変化をする。
先日洗濯労働量について考えた。
これも同じだ。

あのときは洗濯労働量は布量の二乗に比例すると書いた。
しかし本当は、洗濯量は布量を指数とした指数関数なのではないか。
底はその人の感度だ。
個人差がある。

世の中が生きづらい。
こんなもんだろと思って指示を出した作業が全然終わらない。
ちょっと注意しただけでパワハラ呼ばわりされる。
会社が憎たらしい。
無能が俺に指図するな。
世の中のすべてが敵に見える。
だれもこの世の真実に気づいていない。
私こんなにがんばってるのに愛しのあの人が冷たい。

こういったことは、実際の量とそこから発生する刺激の強さのアンバランスさから発生しているのかもしれない。

脳爆発の宿命

光など直接的な刺激の場合は、各種感覚器官およびそれにくっついている神経がいい感じに対数変換してくれる。

ところが現代社会は複雑である。
人間関係だの、社会情勢だのと、いろんなところから刺激が押し寄せてくる。
こういった刺激は脳にダイレクトに飛び込んでくる。

爆発を食い止める最後の防壁が心である。
心でもって刺激の対数を取る。
それで「なんだ、大したことないな」と判断する。

心が疲れているとそれもできなくなる。
脳は刺激の洪水でパニックだ。
脳爆発必至である。

処方箋

指数関数の性質を鑑みるに、量をちょっと減らすだけで、刺激も劇的に減るということもありそうである。
物理的・心理的問わず、刺激を発する問題から距離を取るのだ。

むやみに旅行する人は多い。
昔は蒸発してしまう人もけっこういた。
彼らは物理的に問題から離れようと試みていたわけだ。

蒸発は大変迷惑である。
が、脳が爆発するよりはマシかもしれない。

心理的実践としては己を客観視するとか、考え始めたらストップするとか、そういうことになるかもしれない。
草薙龍瞬の「反応しない練習」にそういう事が書いてあった。

感想

以上の話から、私は他人に対して常に穏やかでいようと思いました。

【追記】めっちゃいいこと言っている

【追記2】自分としては、フリーザ軍では対数が発明されなかった説を推します

【余談】むやみに旅行する人の本を読みました。いいっすわ。