荒れる成人式が伝統芸能になる未来
北九州市の成人式は派手であるという。
テレビでやっていた。
ヤンキーめいた青年が、花輪を首にまいたりしていた。
あと十年もすれば、伝統芸能になるかもしれない。
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ねぶたを思い出す。
あれももともとは質素な祭りだったのではないか。
創意工夫のあるお調子者が調子に乗って、提灯をでかい張り子にした。
周囲も負けじと、張り子をつくって威勢を誇る。
競争が加速して、あのような派手な祭りになったのだと思う。
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私の地元では、正月、神社の境内に行灯が吊るされる。
その行灯は半紙で四方を貼られている。
半紙は小学生が正月っぽい文言を書くのである。
はねつきとか、こまとか、餅とか、なんかそういう類のものだ。
町内会ごとに何枚と、供出する半紙の枚数が決まっている。
それを子供の頭数で割って、一人当たりの割当が決まる。
私は近所の友達と集まって、割当分の半紙を一度に書きつけるのが恒例になっていた。
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友達と集まるとふざけたくなるものである。
私はふと思いついて、ガンダムにでてくる名台詞を半紙に書いた。
「ザクとは違うのだよ、ザクとは」とか、「坊やだからさ」とか書いた。
名前のところにも「ランバ・ラル」「シャア」とその台詞を発した人物を書く。
友達に見せたら大いに結構だと囃し立てる。
私は調子に乗ってガンダム半紙を大量製造した。
真面目な半紙に巧妙に混ぜて提出したのである。
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正月、楽しみに思って神社へ行った。
すると、「羽子板」や「お年玉」に混じって、ランバ・ラルやシャアの半紙がちゃんと行灯になっている。
友人が書いた「シンプソンズ」の半紙も行灯に採用されている。
私は嬉しかった。
親に自慢したらひどく怒られた。
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翌年からというもの、別に正月的文言じゃなくてもいいんだという認識が子供たちの間で広まったらしく、ふざけた半紙が大量に出現することとなった。
私が中学に上がって半紙を書かなくなった頃には、ほとんどがふざけ半紙になってしまった。
当局は事態を重く見たのであろう。
禁令が発せられたようで、ある年から、すべての行灯が真面目な半紙に戻っていた。
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あれもうまいこと発展させれば、なにかの伝統行事となったに違いないのである。
そのあかつきには、私は巷によくいる「あの伝統はワシが作った」じいさんとなって、周りからウザがられていたであろう。
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