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伊集院光方式の寄付で精神を安定させる

ヴォネガットの「プレイヤー・ピアノ」に以下のようなくだりがあった。

文明が進歩していくと、モノが勝手に仕事をするようになる。
あらゆる人間がどんどん役立たずになっていく。

よって我々は今のうちに、
「人間は人間であるという理由だけで愛すべき存在である」
と考える訓練をしておいたほうがいい。

そこで、まず自分のことを愛することにする。
しかし、ただ存在しているというだけで、自分を好きになれるかというと、ちょっと難しいかもしれない。

悩んでいたら、伊集院光がラジオでこんなことを言っていたのを思い出した。

国境なき医師団に毎月少額の寄付を始めたら、精神が明るくなった。
こんなクソ人間でも生きていていいんだと思える。
尊厳のサブスクだ」

自分の周りでも、定年退職した人だとか、妻子に逃げられた人だとかが、急に寄付を始めたことがあった。
心の危機を乗り越えるべく、寄付を活用したのだ。
彼らはいわば伊集院式寄付の人である。

寄付されて困っている人もハッピー、寄付することで自分もハッピー。
よいことじゃなかろうか。

日頃の行状を鑑みるに、彼らはもう寄付をしていない感がある。
しかし、人生の転機というか、精神上の危機に陥らなければ、一生寄付なんてしなかったかもしれないのだから、一時的な寄付でもよいのである。

自分も若干の定額寄付とか、災害のたびに義援金のたぐいは行っているが、それは昔、テレビで、

「海外では成功者の90%が、成功前から収入の10~20%を寄付していた。
寄付は成功者の証」

みたいな怪しい話を聞いたことがきっかけである。

気づいていなかったが、私も伊集院式の人だった。
なにしろ自分のために寄付し始めたのだから。

実際、寄付の効用か、揺るぎない自信が私の中を横溢しているのがわかる。
また、よく反省してみたら、もとより自分は自分のことが大好きであった。

伊集院式の寄付、結構なことだ。

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