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「常識的な生活ができてえらい」勲章を作って世の人に授与して回りたい

ラーメンをつまらせる人々

マシュー・デスモンドの「家を失う人々」に、流しにラーメンの残りを流してつまらせてしまう家族が出てくる。
彼らはトイレやお風呂にも残飯を流してしまう。
それで家中の排水設備が全部詰まって、床に汚水を溜めて生活することになる。
かわいそうという気持ちより先に、ちゃんとしろよと思ってしまう。

隣人

自分も経験がある。
子供の頃、隣家がちょっと変であった。
障子が破れたから使えなくなったとかで、骨組を外に放りだしておく。
残飯を適当なところに放置しておくようで、元気な虫が大量に湧く。
遊びに行くたびに家はどんどんボロボロになっていく。
しばらくしてその家族は、家がボロくなったという理由で引っ越していった。
同じ理由で定期的に住み替えをしているのだろう。

話は変わるが、この間友人の家に一ヶ月ほど泊まる機会があった。
この家にはゴミ袋が一種類しかない。
友人はすべてのゴミを燃えるゴミの袋に入れていく。
分別はしない。
分別の仕方がわからない様子であった。
また、分別せずとも回収してもらえるという気持ちもあったようだ。
たぶん、地域の人達や回収会社の方が人知れずフォローしているのだろう。

あるいはまた別の話であるが、私の祖母は他家のし尿処理についてあれこれ寸評を加えるのが好きであった。
それで色々聞いたが、発酵処理が不十分なうんちを屋根裏にしいて何かを飼う家があって、控えめに言ってめっちゃくさいということだった。
祖母は訛りまくっていたので、正確なところはよくわからなかったものの、大変おぞましい話だと思った。

告白

正直自分も彼らの側に立つものである。
以前はゴミが部屋中を埋め尽くしていて、引っ越しの前には毎回業者の方に回収に来てもらっていた。
そもそも30歳過ぎまでは、オカーチャンが部屋掃除をしに、毎月茨城の田舎から出てきてくれていた。
やべえ男の典型である。

常識は尊い、すごい

世間一般の人がいうところの常識というのは大変レベルが高い。
偏差値60ぐらいあると思う。
偏差値60以上の子どもは、分布が偏ってなければ、全体の2割弱である。
だから常識的な生活ができるのは大変尊いのである。

自分が政治家だったら、「常識的に生活していますね」勲章を作って、毎年常識的な生活をしている方に授与したい。

※ちなみに勲章は特別なものだから、もらえないのが普通である。
常識に欠けるため勲章をもらえなかった方々は、己こそが普通、スタンダードなのだと胸を張っていてほしい。

常識的なことができない人を救いたい

逆に言うと、常識的な生活ができない人が大変たくさんいるということだ。
21世紀の啓蒙主義は、こういった人たちに生活の光をもたらすのが使命ではないか。
家庭は啓蒙思想最後のフロンティアなのだ。

具体的には、赤ちゃん用しまじろうのようなことをする。
赤ちゃん用しまじろうはトイレトレーニングなど一見誰でもできそうなことをやってみせる。
やはり実際にやってみせるのが一番教育効果が高いということだろう。

テレビで言うと、かわいい女優やいけてる俳優が普通の生活をしているドラマをつくる。
恋愛だのなんだのがメインでもいいが、生活も端折らないでリアリティをもって映す。

バラエティでも美味い飯屋を紹介しつつ、飯屋が掃除とか洗濯してるシーンを流す。
飯屋だって飯作りだけではなく、飯屋を快適に維持できるよう頑張っているはずである。

YouTuberやTikToker他も頑張ってほしい。
ヒカキンは家政婦さんがこんなにがんばってくれているとか、猫の飼育係の人がいかに猫を大切にしているかなどを動画にすべきだ。

こういったものはあくまで等身大であったほうがいい。
メチャクチャな家事も適度に混ぜていく。
あんまり完璧にやられるとついてこれないからである。

己も啓蒙していく

自分も今後は、想像上のガッキー家事をトレースしながら家事を乗り越えていこうと思う。
自分をガッキーと重ね合わせてガッキーがするように床を掃除し、服を洗い、飯を作る。
テンションが上がるではないか。

作った飯をテーブルに置く。
テーブルの向こうには星野源がギターを持ってニコニコしている。
はからずも星野源のために飯を作ることになってしまった。
星野源をトレースしておけば、ガッキーが出迎えてくれたのに。
無念だ。

参考書籍

家を失う人々 マシュー・デスモンド(著/文) - 海と月社 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

私の2024年上半期ベスト本である。