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好意や情熱の多寡が金額で計られるようになるとアウト

推し活には難点があって、その一つは文化を消費に貶めることでその他の文化受容が想像できなくなる点にあるという。

思うに何活であろうと、好意や情熱の多寡が投入金額で計られるようになるとアウトである。
アイドルのCDを何千枚も買ったり、売春してホストに注ぎ込んだりなどがそれに当たる。

また何らかの飯を食う。
おいしいでなしに、払った金銭のわりにおいしいとつい言ってしまう。
曰くコスパがよいなどと。
これはよくない発言で、おいしさを金銭で表現することで、己の感性に対する信頼を自ら毀損しているのである。

好きに優劣も上下もない。
勝手にほどほどに楽しめばよい。
それに払った金額ではなくて、その中身を語りたまえ。
逆にそういう楽しみ方ができない趣味は趣味とは言えないのである。
推し活と名を変えたって駄目である。

また趣味にかかる金銭というのは、あくまで経費である。
経費を気にするのは趣味ではなく、家計の範疇だ。
趣味と家計は脳をちゃんと使い分けて処理する。
これが一般的な感性というものだ。

ソシャゲとキャバクラで借金をこさえてみて、私はそう反省したのである。

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