見出し画像

パラアスリートって超人。

昨日、
パラリンピックの開会式をテレビで観ていたときのこと。
各国の入場シーンになると、アナウンサーが
「旗手を務めるのは○○さんです。内戦で銃弾が腕にあたり、肘から先を切除しました」とか
「地雷を踏み、左足を無くしました」とか
なぜ障害をもったのか ということを紹介していました。

確かに、
世界にそういった悲惨なことがあるのは、とても大事だし世界全体で解決しないといけないことではある。
オリ・パラの精神に「平和の祭典」とあるので、
平和への願いを考え、その訴えをするのもわかる。


が、
参加選手の皆さんは、競技者としてアスリートとして参加しているのだから、過去の競技歴だとか、得意種目だとか、そういった情報をもっと知りたかったというのが正直なところ。感覚としては、パワポ資料で1スライドに複数のメッセージが載せられているような"座り"の悪さを感じる。

とはいえ、パラリンピックについて、
私は今大会から注目して見始めたニワカなので、
今日からの種目、報道、選手の声などを観て、どういう在り方がいいのだろうか?と自分なりに考えてみようと思う。


さて、そんな開会式を一緒に観ていた妻がふいに、
パラアスリートって、超人だよね」と言った。


確かに、そうかもしれない。


妻曰く、障害が先天的なものなのか、後天的なものなのかはさておき、
周りの人と違うこと、周りの人が普通に出来ることが出来ないこと、
昨日まで出来ていたことが急にできなくなったことなど、
そういった精神的な苦境を乗り越えただけではなく、
アスリートとしてのパフォーマンスが凄まじい。

例えば卓球の選手は、サーブをする際に手が不自由であれば、足でトスアップしたり、ラケットを口で加えてボールを打つ。
ゴールボールやサッカーでは視界がゼロにも関わらず、さも見えているかのうように走り、攻め、守る。

オリンピックアスリートのパフォーマンスは、
自分とは比べ物にならないほど高い能力を持っていることは分かるが、
それでも、自分が普段やっていることの延長線上に彼らの能力はあると思えるけれど、
パラアスリートについては、
どうやったらそれが出来るのか?と自分では想像もつかないようなスーパーパワーを持っているように感じる。

そんな風に妻はパラアスリートに対しての考えを話してくれた。


*******
少し話は変わるが、
前職で働いていた時に、私は2年ほど障がい者採用の担当をしていた時期がある。また、私の上司は非常に積極的な方で、チームや私の部下にも障がいを持ったメンバーが何人かいた。

私はそれまで、障がい者と何かを一緒にするという経験はほとんどなかった。

ちなみに私の祖父は病気で耳が聞こえなかったのだが、補聴器を付ければ会話は出来たし、頻繁に顔を合わすわけではなく、ちょっと大きめの声で話せば済むだけのことだったから、障がい者という認識もあんまり無いくらいだった。

そんなこともあり、
最初は障がい者とどのように接するのがいいかわからず、おっかなビックリというか、言葉を選ばずに言うのであれば、腫れ物に触るというか、どう関わっていいのか分からずに距離を取りがちだった。


採用業務を行う上で、
行政から発行されている情報を見たり、
支援機関の方のお話を聞いたり、
チームメンバーの話を聞く中で、自分の中での"障がい者"に対する認識がどんどん変わっていった。

最初は、
サポートしてあげないといけない 対象だと思っていた。
これまた言葉を選ばずに言うならば、出来る自分が出来ない人のカバーをする くらいの感覚だったと思う。今 思えば思い違いも甚だしいなと思う。

すごく強引に言ってしまうならば、
障がいを持つ人たちというのは、個性が強い人でしかないのだと思う。
(あくまで現在の世界において)


例えば、
私が初対面の人の名前や顔を覚えられなかったり、
上司の言うことを素直に聞けないのと同じように、
彼らもまた、手を動かすのが苦手、複雑な指示を消化するのが苦手、物の形を捉えるのが苦手という特徴があるだけだ。
#その例え、本当に同じか?


私が出来ないことで、彼らが出来ることは山ほどあるし、
教えてもらったり、助けてもらうこともたくさんあった。

ただ、
"健常者"という多数派の人たちの多くが出来ることが、たまたま出来なくて目立ってしまい、特別な感じになっているだけだと思う。

誰だって苦手なことは周りの人のサポートがいるし、
得意なことは、周りの分まで頑張ればいい。

思いやりもサポートも必要だけれど、
それは相手が弱いからではなくって、それが必要だから。
助けることもあるし、助けられることもある。

当たり前のことだけれど、
色眼鏡をかけている間は、意外と気が付かない。


そういう意味で
障がい者採用と彼らと一緒に働いた経験は、すごく学びが大きかったな。


*******
最後に、
今回のnoteの中では、敢えてというか便宜的に使っていたのですが、
「障がい者」「健常者」という言葉が好きではなくって、
何か適切な代わりの言葉は生まれないものだろうか。
(英語のChallengedもなんか違和感を感じてしまう)
障がい者自身は特に気にしていないという話も聞いたけれど、なんとなく障がい者 ⇔ 健常者というのがバランスとしてイマイチな気がする。。。
#考えすぎ?

サポートありがとうございます!小躍りしながらキャリア・コーチング関連書籍の購入費に充てさせていただきます。