時間感覚の移り変わり
センバツ高校野球が開幕して1週間。毎日、熱戦が繰り広げられていますね。ブラスバンドの演奏がライブで聴こえないのは残念ですが、球児たちの戦いは熱さを増すばかりです。
さて、今から30年ほど前に「タッチ」という高校野球をテーマにした漫画があったのをご存知でしょうか。私はこの漫画が大好きで、コミックスは全巻持っていたし、何度も須見高戦で息を飲み、文字通り手に汗を握りながら物語を楽しんでいました。
この「タッチ」という漫画のストーリーについて、今日は全く触れないのですが、特徴として思い浮かぶのは、展開(ストーリーの進行)がとにかく“遅い”ことです。どれくらい遅いかというと、マウンドからたった1球のボールを投げるシーンを描くだけで、テレビ放送の一回分を使うくらい焦らすのです。(もちろん回想シーンなどが挟まるのですが)
対して、鬼滅の刃や約束のネバーランドなど昨今ヒットしている作品の展開の早いこと早いこと。主人公たちはメキメキ強くなるし、ライバルともすぐに仲良くなるし、矢継ぎ早に次の展開に進んでいく。
これは決して「昔は良かった。今の時代は味気ない」なんていう懐古主義的な話ではなくて、それだけ時代のスピード感が上がっているのだという、抗うことのできない流れへの再認識なわけです。
30年前は携帯電話は鞄ほどの大きさがあり、持っている人も本当に限られた人だけ。ポケベルにメッセージが届いたら、公衆電話を探して、連絡を折り返す。これも会社員など一部の人だけ。ほとんどの人は家にある固定電話と手紙だけが、距離を越えるコミュニケーションツールでした。
25年ほど前に小型の携帯電話やPHSが普及し始め、コミュニケーションのスピードが格段に上がった。そして同時期に拡大したインターネットによってコミュニケーションの幅、情報量も飛躍的に増え始めました。
URLにあるwww(World Wide Web)の字の如く、世界とのつながりが増え、世界レベルのコミュニケーションがボーダーレスになってきた。
日々、変化の速度が上がり続けている。影響範囲は広がり続けている。
これは紛れもない事実だと理解はしているのです。しかし、思考や行動まで同じスピードで変化しきれていない自分がいる。焦りは少しあるが、開き直りはそれ以上にある。それに何より、アナログなことが好きなのである。何でもかんでもというわけではないけれど、不便さの愛らしさというもの大事にし過ぎるところが自分にはあるのです。
ただ、あまり凝り固まらないように、変えないことと変化していくことの両方を併せ持てるようにしたいと思っております。もっと新しいこと、新しい感性を持つ人との接点を増やしていかねば。
置いていかれるのではなく、選べる自分でいられるように。
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