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【旧記事】生態系的システム理論による生命の起源仮説
2023/5/15追記
この記事の内容は古いものになりました。
新しい記事は下記の「生命の起源の仮説:生態系的システム理論からのアプローチ」をご参照ください。
はじめに
生態系的システム理論の観点から、生命の起源について仮説を立てることを試みます。
仮説の全体像
私は、太古の地球に、細胞生物が誕生する前にも、化学反応の連鎖による代謝などの多数のメカニズムとそれを実現する多数の有機物が存在しており、その多数のメカニズムが相互に協調・共存しながら進化し、一種の生態系を形成するに至ったと考えています。
また、その生態系の中で細胞膜で囲まれた細胞生物が登場するよりも前に、遺伝子が誕生し、細胞膜なしに連鎖的な自己複製と変異、そして進化を繰り返し、全体としては化学反応の連鎖メカニズムと遺伝子が、相互に協調・共存しながら豊かな生態系が存在していたと考えています。
そして、その生態系の一部の遺伝子が細胞膜を獲得したと考えます。細胞膜を獲得した遺伝子は細胞生物となったことで、自然淘汰に対してより高い順応能力持ち、そこから細胞生物が協調・共存する生態系へと発展していったと考えています。
概念整理と3つの仮定
まず、基本的な概念を整理します。そして、仮説を成立するために重要となる3つの仮定を提示します。
①反応連鎖
触媒となる有機化合物やその複数種の組み合わせによって、外部から与えられたエネルギーから、駆動振動を含む化学合成や発熱反応が連鎖的に発生する事があります。複雑なもの、特に連鎖がループ構造を持つものは、長い時間反応が継続します。
②反応連鎖の環境
反応連鎖の環境は、地球上で液体の水が溜まっている場所を前提として考えます。
③3つの仮定
外部からエネルギーを受けて反応連鎖が繰り返し発生していく中で、反応連鎖と有機化合物も、自然淘汰による進化、多様性の広がり、そして、豊かな生態系の形成をしていくのではないか、と考えられます。これら3つの仮定の通りに、反応連鎖と有機化合物が豊かな生態系を形成できた場合、その中では、かなり複雑な構造と機能を持つ有機化合物が生成されるようになると考えられます。
a) 自然淘汰仮定
反応連鎖にも、自然淘汰が働く場合がある、という仮定です。これを反応連鎖の自然淘汰仮定と呼ぶことにします。
環境が崩れれば反応連鎖が発生しなくなってしまうことは自明です。ここで仮定するのは、より環境に適した反応連鎖が誕生し、環境に適していない反応連鎖を淘汰していく、という点です。この仮定が事実であれば、反応連鎖は、文字通り進化することができる事になります。
b) 多様性仮定
もう一つは、こうした反応連鎖は、一つの環境の中で、豊かな多様性を持つ場合がある、という仮定です。これは、反応連鎖の多様性仮定、と呼びましょう。一つの種類の反応連鎖が、その環境の中で圧倒的支配的な位置づけになってしまうと、多様性は生まれません。しかし、1つの環境の中に多様な種が生まれ、それらが絶妙なバランスで並存できるなら、多様性が得られるでしょう。
c) 生態系仮定
最後は、進化と多様性に基づいて、反応連鎖の集団が、全体として豊かな生態系を構築し得る、という仮定です。これは反応連鎖の生態系仮定と呼びましょう。
生命の起源についての説明
私の仮説の核心は次の2つです。
1つ目は、有機化合物群とそれを触媒にした化学反応の連鎖が、水たまりの中で、生態系のような複雑なダイナミズムを形成していた、というものです。この複雑なダイナズムを持つ系によって、非常に複雑な構造を持つ遺伝子のような有機化合物も生成することが可能になった、と考えます。
2つ目は、細胞生物の誕生の前に、自己複製を繰り返すことができる高度な遺伝子が、細胞膜を持たないまま形成されたと考えます。これにより、細胞膜と、高度な遺伝子と、その遺伝子を使った自己複製が可能なだけの多数の有機物が、一度に組み合わさって細胞生物が登場する、というような天文学的な確率で奇跡的に細胞生物が生まれたと考える必要がなくなります。自己複製を繰り返すことができる高度な遺伝子が、細胞膜を持たないまま形成され、その後に、細胞膜に包まれるように進化したと考えれば済むようになります。
有機物から細胞生命が誕生するまで
では、ここまでに述べた概念と仮定を使って、どのように基本的な有機物から細胞生命が誕生するかを説明していきます。
①有機物と反応連鎖が生態系を形成する
まず、有機化合物群を触媒にして、外部からのエネルギーを得て化学合成や駆動振動により新しい有機化合物が生成されます。
また、内部の有機化合物に蓄積されたエネルギーが発熱反応で放出され、その内部エネルギーを使って化学合成や駆動振動により新しい有機化合物が生成されるケースもあります。
そうして外部からエネルギーを受けながら、様々な有機化合物の生成と様々な化学反応が繰り返される、その中でより環境に適した有機化合物と化学反応連鎖の組み合わせが残るという自然淘汰が起きることで、これらの有機化合物と化学反応連鎖の組み合わせは、より複雑なものに進化していきます。
そして多様性も獲得し、全体として生態系と呼べるようなものが形成されます。
生態系のような、多様性と複雑さとダイナミズムを持った系であれば、非常に複雑な有機化合物を生成することができます。この系の中で、自己複製を可能にする構造を持った、初期の遺伝子が生成されたと考えられます。
②初期遺伝子から後期遺伝子への、細胞膜に包まれないままでの進化
初期の遺伝子は、ただ単に自分自身をコピーするという構造を持つだけに過ぎず、自発的に増えていくことはできないものだったと想像できます。
この初期の遺伝子に、偶発的にコピーに必要なエネルギーと有機物が周囲から与えられたときにのみ、この初期の遺伝子は自分自身をコピーできます。
そして、この遺伝子は、この偶発的なコピーに頼りながら、時間をかけてその数を増やしていきます。そのコピーの繰り返しの過程で、遺伝子は変異をする場合があり、その変異の結果として、より環境に適した遺伝子が残るという自然淘汰が発生します。
より環境に適した遺伝子は、例えば偶発的に周囲から与えられることに頼っていた有機物の一つを、自発的な形で生成できる能力を獲得する、といった形で、よりコピーを作る条件が整いやすい形で進化することもあれば、自分の周辺に、必要な有機物を自分に与えやすくするようなきっかけとなる化学反応を起こすといった形での進化もあったと考えられます。
こうして、初期の遺伝子は、徐々に、自分自身の力でコピーがしやすいような形に進化したり、周囲に自分のコピーが作りやすい環境を作り出したりする形で進化していきます。このような形で、進化した遺伝子は、初期の遺伝子と比較して、かなり速い速度で自分のコピーをつくるでしょう。
コピーの速度が少し上がっただけでも鼠算式に増加速度は波及しますので、このような遺伝子は、その遺伝子が存在する環境に充満するほど広がり、かつ、多様な変異を遂げた多様な遺伝子が存在する環境へと変貌していきます。
そうなると、それまでは化学的エコシステムだったその環境が、細胞膜を持たない遺伝子の生態系へと変貌していきます。その多様な遺伝子の生態系の中で進化した遺伝子の中には、自身をコピーした後に、すぐに自分の周辺に自分のコピーを作るのに必要な有機物やエネルギーをそろえることができるような、高度な遺伝子にまで進化したものが現れ、こうした高度な遺伝子が生態系の中で繫栄したと考えられます。
③細胞膜と細胞生命
そして、最後のイノベーションが訪れます。細胞膜の登場です。
この高度な遺伝子が細胞膜に自身に包む能力を最終的に獲得したことで、細胞生物としてこの地球に誕生したと考えることができます。これが有機化合物から、細胞生物への進化の機序についての私の仮説の全体像です。
仮説に対する説明と、盲点に対する説明
最初に立てた3つの仮説について、どのようなことが考えられるかを説明していきます。
また、どうしてこの仮説がこれまで考えられてこなかったのだろうかと考えた時、2つの盲点があったのではないかと思います。それらについても説明していきます。
自然淘汰仮定について
有機化合物が、反応連鎖に対して遺伝子的な役割を持つ、という解釈をすることで、自然淘汰が発生するということが説明可能です。
反応連鎖の触媒となる有機化合物やその複数種類の組み合わせは、時間軸上である一定期間存在し続けます。そして、そこに外部からエネルギーを与えられる度に、同じ種類の反応連鎖が発生します。したがってこれらの有機化合物やその複数種類の組み合わせは、反応連鎖の設計図となっていると解釈できます。これは、反応連鎖を時間が経過しても再生産するという意味で、反応連鎖の遺伝子のようなものです。
遺伝子のようなもの、といっても、反応連鎖を生み出す有機化合物の一群は、自己複製能力は持ちません。自己複製能力を持ってはいないものの、一回の連鎖反応が終わってものこり続け、再度、エネルギーを得て連鎖反応を発生させます。このため自己複製しなくても、同一の連鎖反応の保存能力を持っていると解釈できます。このように考えると、遺伝子が1種類の生物種の保持能力を持っているように、こうした有機化合物の一群もまた、1種類の反応連鎖の保持能力を持っており、遺伝子的な役割を果たしていると言えます。
反応連鎖を生み出す有機化合物の一群は自己複製はしませんが、2つの方法で、新しい種類の反応連鎖を生み出します。一つは反応連鎖の結果として、新しい有機化合物が生成され、これが新しい種類の反応連鎖を生み出す(あるいはそのために必要な有機化合物の組み合わせのラストピースになる)、という方法です。
もう一つは、既存の有機化合物が、時間の経過と共に変質したり、複数の有機化合物の密度バランスの変化により、新しい有機化合物の組み合わせが生じ、それが新しい種類の反応連鎖を生み出すという方法です。
このように、突然変異的に新しい反応連鎖を生み出す点でも、有機化合物は遺伝子に似た役割を果たしています。
多様性仮定について
多様性仮定に対して、有機化合物が、果たしてそう都合よく、1つの環境中で多様性を獲得できたのか、という疑問があります。1つの環境の中で、外部からエネルギーが与えられて反応連鎖が繰り返し進んだ場合、単純に最も発生しやすい反応連鎖ばかりが発生し、その反応連鎖が消費する有機化合物がなくなり、その反応連鎖が生み出す有機化合物が多量に生成され、期待したほどの多様性が得られるのか、これだけでは説明ができません。
ここで、地球の水の循環に着目します。
地球上には様々な水たまりや池や海のような、有機化合物群の生成とそれを触媒とした化学反応の連鎖が発生しやすい環境が、多数存在していたと考えられます。この1つ1つの環境の中では、その環境の中にある元素の割合などの関係で、外部からエネルギーが得られたときに、複数の有機化合物が生成されるものの、そこで発生する化学反応の連鎖については、単調で同じようなことが繰り返される状態に収束する可能性が高いと思います。しかし、地球環境にある水たまりや池や海は、地球の気候のダイナミズムにより循環します。異なる環境で生成された単調な有機化合物の生態系が、その気候のダイナミズムによる循環の中で、繰り返し入り交じり、異なる環境で育まれた有機化合物の生態系は、複雑な混合状態を、地球全体の中で多様なパターンを作り出します。この作用が、1つの環境では単調な化学反応しか作り出せないはずの有機化合物の生態系に、無数のパターンの多様性を作り出すメカニズムだったというのが、私の仮説です。
補足
私の仮説は、細胞膜を持つ細胞生物の登場以前に、既に生態系と呼べるものが形成され、その中で細胞膜を持たない遺伝子が生成されたというところに特徴があります。また、地球のダイナミズムによりこの細胞生物登場以前に、地球上の水の循環を利用してこの生態系が入り交じっていたというところも特徴です。このため、私の仮説では、地球全体の水たまりや池や海には、細胞生物登場以前の生態系が広く満ちていたという状態だったことを示唆しています。
生態系仮定について
生態系仮定に対しては、1つの環境の中に、多様性を持った有機物群と化学反応の連鎖群があった時に、シンプルにそれだけの理由で、豊かな生態系のような全体としてのダイナミズムが生まれるのか、という点です。
そこで、反応連鎖が、生命のような特徴を持っている点に着目します。
反応連鎖が進化していく事で、反応連鎖が始まった後、途中で最初の反応に連鎖するというケースがあり得ます。反応連鎖が循環構造を持つ、という状態です。この循環型の反応連鎖は、単一の化学反応や単純な反応連鎖に比べて、長い時間、反応が継続するという特徴を持ちます。この循環型の反応連鎖の時間的な継続は、やがて反応に必要な有機物やエネルギーが尽きることで停止することになります。
これは、発生して、しばらく継続し、やがて停止するという、例えるならちょっとした断片的な生命のような現象とも言えます。複数の循環型の反応連鎖があった場合、エネルギーや反応の材料となる化合物をより早く手に入れることができる方が、エネルギーや有機化合物を収奪するという、奪い合いの関係が発生することがあるでしょう。
また、循環型の反応連鎖が止まった時に残された化合物でなく、循環型の反応連鎖の途中状態にしか現れない一時的な有機物を必要とするような別の循環型の反応連鎖が存在することも考えられます。その場合、後者が前者を停止させて、自分の断片的な命の連鎖を継続させるというような、弱肉強食、そして食物連鎖の関係を出現させます。この循環型の反応連鎖たちが織りなす奪い合いや食物連鎖と、循環型の反応連鎖の自然淘汰による進化によって、生態系のダイナミズムを形成される、という説明ができます。
盲点1:以前の生態系が観測されない理由
この仮説は、1つの重要な謎に対して興味深い光を当てます。それは、地球が生命を育むのに適している環境であれば、原初の細胞生物が誕生したように、どこかの時点で次々と無生物から細胞が誕生してもよいはずなのに、それが観察されないのはなぜか、という疑問です。
そして、生命が誕生することを誰も観察できていないということは、そもそも地球が生命を育むのに適した環境ではなく、ほんとうにまれな確率で生命が誕生したか、あるいは地球外から生命がやってきたのではないか、という話につながり、一種のパラドックスがありました。これが盲点になっていたのではないでしょうか?
私の仮説に沿って考えると、次のように考えることができます。
地球上に広がっていた細胞生物以前の生態系の活動の基本的なメカニズム群を、細胞生物はその中に取り込んでいるため、基本的に同じメカニズム群で活動を行っています。
つまり、細胞生物以前の細胞膜を持つ遺伝子たちと、細胞生物とは、同じ環境で生息することができるのです。
そして、細胞生物は、細胞膜を持たない遺伝子よりも環境適用性が高いため、時間とともに、細胞膜をもたない遺伝子たちの住処を占拠していき、やがて生息可能域のすべての場所を、細胞生物が占領してしまったと考えれらます。
そして、現在の地球においても、この細胞膜を持つ以前の遺伝子や、それが現れる以前の有機物群と化学反応の連鎖群が発生しやすい場所は、既に細胞生物が占拠してしまったので、もう、地球上の自然環境では、こうした現象が発生し得なくなった、というのが私の仮説に基づく説明になります。
盲点2:遺伝子は細胞膜がなければ自己複製できないのではないか?
この仮説がもし今まで提唱されていないのであれば、そこにはもう一つ盲点があったのだと思います。それは、遺伝子による自己複製が繰り返されるのは、細胞膜に包まれた遺伝子でなければ実現しえないという思い込みです。
確かに、遺伝子のみが存在しても、自己複製に必要な多数の有機物やエネルギーが揃わなければ、自己複製はできません。このため、必要な多数の有機物やエネルギーを周囲に保持できる細胞膜があれば容易であるが、細胞膜がなければ遺伝子だけが存在していてもかなり難しい、あるいは天文学的な確率に頼らざるを得ないと考えてしまいそうになります。
しかし、私の仮説のように遺伝子ができる環境自体が、すでに多数と有機物と化学変化の連鎖による豊かな生態系を構築していると仮定することで、この問題の答えが見えてきます。
つまり、その周囲には多数の有機物やエネルギーが存在し得る環境下で、遺伝子は登場したのです。それにより遺伝子は自己複製をすることが可能になり、さらには遺伝子が進化していき、自己複製のために必要な環境を自分の周囲に維持しやすいようになっていったと考えられます。
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