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■不死の世界と寿命の世界の寓話
<理想社会のピーターパンたち>
バイオテクノロジーの発達は、人間の主要な組織のバックアップを用意することを可能にし、ついには脳のスペアを作ることにも成功します。
また、サイバネティックス技術の発達で、体の一部、あるいは全てをロボットとAIと同じ知能プロセッサに置き換えることを可能にしました。
生体としても、機械としても、人間はどちらの選択も可能になり、肉体的にはほぼ老化や死とは無関係になりました。また、人格や知識などの情報もバックアップできるようになり、個人が死を迎えることはほとんどないという事が技術的には達成されました。
また、社会は、AIとロボットによる食料や衣料品の生産が実現されており、基本的にはベーシックインカムで最低限の収入が得られ、医療も全て賄われています。
この時代の子どもたちには、興味深い傾向が現れます。それは、ピーターパンシンドロームと呼ばれる症例の急増です。
ベーシックインカムで手に入るもの以上を欲しがる個人は、それを手にするために努力や工夫をします。
しかしベーシックインカムで十分に生活できると考える個人は、それ以上の努力や工夫をする必要がありません。
そうなると、大人としての考え方や振る舞い、というものをそもそも身につける必要性に疑問を感じていたり、そうしたものを面倒だとして避けたい個人は、ピーターパンシンドロームに陥ります。
このピーターパンシンドロームの渦中で、ただ与えられたゲームやエンターテインメントを消費し続ける人もいれば、自らゲームやコンテンツを制作する人もいます。
また、知り合った個人と恋愛をすることはあっても、深く愛するという観念も、持てなくなっていきます。共同で困難を乗り越えたり、将来の不安やリスクに共に向き合っていく過程を経ることがなくなるためです。
このため、一時的な恋の情熱や、友人関係のような心のつながりはできます。しかし、相手の人生を自分の人生の中に請け負ったり、かけがえのないパートナーとしての絆のようなものを作るという観念が形作られなくなります。頭では理解できても実体験することができなくなってしまったためです。
子供を授かったとしても、それは同様です。子供の命も社会システムが守り、子供も将来はベーシックインカムで生活ができます。その状況のために、子供を介してパートナーと深い愛情の絆を形成することも難しくなっていたのです。
さらに、自身の命や人生についても深く考える必要がなくなりました。人並み以上の生活を目指さないなら、ベーシックインカムに頼れば良いのです。後は自分の好きなゲームやエンターテインメントを楽しみ、たまに気が向いた時に自分でも何か制作します。そして時に恋に落ち、恋愛も楽しみます。それを、繰り返します。
そこに大人としての振る舞いや思考は不要です。古臭い考え方だと笑われるかもしれません。いつまでも、大人にならずにピーターパンでいることが、賢い生き方なのです。
そして、ピーターパンたちの中には、生きる充実感を手に入れるために、精神的な成長ではなく、刺激を求めるという文化も形成されます。辛いものやスリリングなアクティビティを楽しみ、その過程でエスカレート的に刺激を強くしていくのです。
その他、愛の絆のかわりに、一方的で強力な絆を結ぶことを求めるという傾向も強まっています。これはアニメやゲームのキャラクターや、アイドルや有名人たちを「推す」というものです。複雑なやり取りや精神的な成長を伴わずに、擬似的に強い絆を作り出すことができます。
<メメント・モリへの回帰>
そんな世界で、2つのムーブメントが巻き起こります。
一つは、不可避の寿命の設定です。スマートコントラクト技術を応用した、スマートライフサイクル技術の登場によるものです。設定された期限が来ると、脳やスペアに埋め込んだ仕掛けが発動し、避けることのできない寿命が訪れるという仕掛けです。
これは当初、政府の規制を受けました。しかし、そもそもパブリックチェーン上で実現されると実質的な規制ができませんので、形だけのものでした。また、寿命の権利という概念が広く議論され、このムーブメントを後押ししたことで、各国政府も規制を緩和していきます。
また、初期バージョンは明示的な寿命でしたが、これには倫理的な問題が噴出したため、第2世代以降は寿命の正確な時期はぼかされ、また、決められた事項を達成するたびに、見えないところで寿命が少し伸びるという仕組みも導入されました。
このムーブメントの参加者は、不死を手に入れる以前の人類と同じ感覚で生きることができると主張し、実際、その時代前後で停滞していた、文学やアートや社会科学や心理学などの芸術や学問が、再び活性化しました。不死の世代以前とこのムーブメントは精神的につながっているという主張がありましたが、文化や学問の連続性がその証拠として、広く認められるようになりました。
二つ目のムーブメントは、シミュレーテッドライフリアリティです。メタバース世界の中に、ライフリアリティというジャンルが登場して、流行したことがきっかけです。
こちらは、メタバース内に入る時に、没入以前の記憶が曖昧になり、代わりにそのメタバース世界が、本当に死が存在する世界だと思い込む仕掛けが施されています。
これは人によって個人差はあるものの、多くの人には真に迫ったものであり、十二分に生きる実感を得られます。
こちらの方が、不可避の寿命の設定よりも、気軽に参加できるムーブメントでしたので、後発ではありましたが、参加人数も圧倒的に多くなりました。
但し、何回かメタバース内での死を体験した人は、段々と耐性ができてしまい、リアリティを感じられなくなってしまいます。
また、内容的に質の低い、単に人気ゲームをシミュレーテッドライフリアリティ化しただけで、人間的な成長をする事なくバーチャルな死を迎えるというメタバースの方が人気が出てしまう傾向が強いという面は否めません。
このため、シミュレーテッドライフリアリティは、ピーターパンシンドロームという観点からは、あまり貢献していないという意見も見られます。
<2つの世界へ>
やがて、転機が訪れます。
きっかけは、スマートライフサイクル技術の規制論の再発です。
シミュレーテッドライフリアリティにより死の恐怖やおぞましさ、死が差し迫った時の人間同士の争いの醜さなどがSNSやメディアでセンセーショナルな取り上げられ方をしたことがトリガーとなりました。
この死に対するネガティブな印象は、多くの人がシミュレーテッドライフリアリティを一度体験している状況では、効果的でした。様々な議論が巻き起こる中、スマートライフサイクル技術を規制すべきではないかという議論が再燃し、前よりも勢いを増したのです。
不可避の寿命の設定のムーブメントの参加者たちは、この声に押されます。当初このムーブメントを興して、寿命の権利を獲得した人々の多くは、既に寿命を迎えており、今は彼らのフォロアーが大半です。このため、以前よりも強力な規制論に、言葉では太刀打ちが困難でした。
とは言え、既に設定されている寿命を解除する術はありません。また、周りがなんと言おうが、自分たちは深い決意の下、寿命のある生き方を選んだのだという自負があります。何より、周囲で騒ぎ立てているピーターパンたちよりも、自分たちの方が充実した生を過ごしているという実感や強い共同体意識もあります。
そこで、不可避の寿命ムーブメントの参加者たちは、熟考し、複数のムーブメントコミュニティの間で活発に議論を重ね、一つの決断をします。独立宣言です。
不可避の寿命ムーブメントの参加者たちは、ベーシックインカムの時代においても、高い創造性と実行力を持つ人々を大勢排出していました。そのため、ベーシックインカム以上の大きな富を獲得していました。また、組織活動や組織運営能力も長けています。
加えて、多くの人達は、このムーブメントの壁を超えて交流を持たなくなっていました。価値観の断絶が大きく、交流が困難になっていたためです。
この富と能力、そして高い団結力と組織運営能力を発揮すれば、自主独立の社会を形成できる見込みは十分にありました。
後は体制側が独立を認めるかという点が問題でした。しかし、独立の承認自体はある程度の課題と交渉はあったものの、比較的穏やかに進みました。
一つには、そもそも断絶が顕在化しており、体制側も扱いに困っていたという事もありました。ただ、これ以上このムーブメントへの参加者を増やしたくないという世論もあり、ムーブメント側が独立することで、積極的に参加者の勧誘はしないと約束し、物理的にも国境が引かれてコミュニケーションが多少やりにくくなるという点が、世論に大きなメリットと映りました。
また、何よりムーブメント側はベーシックインカムや既存のAIやロボットの割譲は一切必要なく、自分たちで既に個人的に保有しているものだけで十分とした点でも、体制側の社会へのインパクトが少なく、反対派の意見が大きくならずに済んだ要因でした。
こうして、不死の世界と、寿命の世界が誕生したのです。
<生命のリドル、なぜ生命は死を迎えるのか>
その後、この不死の世界と寿命の世界がどうなっていくのか、続きに入る前に、生命のリドルという話をしておきます。
生物は、細胞から成り立っています。そして細胞は、さらにミクロのレベルで見れば、化学反応が連続的に起きている、いわば動的な存在です。
ここで、連続している化学反応を引き起こす物体について、その化学反応が停止した時のことを考えてみます。そこには、2つのパターンがあるでしょう。
停止した後に、もう一度きっかけやエネルギーや資源が与えられると動き出すことができるパターンが1つ。この性質を、休眠停止性と呼ぶことにします。
もう一つは、化学反応が停止してしまうと、構造が失われて二度と動き出すことができないパターンです。この性質を死停止性と呼ぶことにします。
この休眠停止性と死停止性には、謎があります。
死停止性を持つ動的な存在は、同じものが存続し続けるという点において、圧倒的に不利です。なぜなら、何かの拍子に外からのエネルギーや資源の供給が止まり、内部に蓄えていたものも使い切ってしまえば、二度と動き出すことができず、構造も失われてしまいます。
一方で、休眠停止性を持つ動的な存在は、例えエネルギー等が切れて停止してしまっても、再びエネルギーを得ることで動き出すことができますし、止まっている間も構造が維持できます。
この点から考えて、死停止性の動的な存在よりも、休眠停止性の動的な存在の方が、時間を経ても構造を保ち、存続するという点で有利なはずです。
細胞や生物の化学反応が止まったら、死を迎えます。止まってしまったら、二度と同じように動き出すことはできません。つまり、細胞も生物も死停止性です。しかし、ここで疑問が浮かんできます。なぜ、細胞は死停止性なのでしょうか。そして、死停止性よりも存続に有利な休眠停止性の生物はどうして地球上に誕生しなかったのでしょうか。それが、休眠停止性と死停止性の謎、生命のリドルです。
<生命のリドルの一仮説>
生命のリドルの正確な答えはわかりませんが、有力な仮説を立てることはできます。
休眠停止性という一見合理的に有利だと思われた性質。その性質に依存した動的な存在には開く事ができない扉が、死停止性にはあるようなのです。着眼点は、休眠停止性を持つ動的な存在は、その内部に、休眠停止性を持つものしか組み込むことができないという制約です。
仮に内部に死停止性を持つ部分があった場合でも、一度停止した時にその部分の構造は崩れますから、次に動き始めた時には休眠停止性を持つ部分だけが残る事になります。したがって、休眠停止性を持つ動的な存在内には、死停止性は組み込めないのです。
一方で、死停止性を持つ動的な存在は、確かに途絶えることなくエネルギーや資源を取り込み続けなければならないという宿命を背負います。しかし、死停止性を持つ動的な存在は、その内部に、休眠停止性を持つものと死停止性を持つものの両方を組み入れることができます。
おそらく、これが決定的な差となります。
休眠停止性を持つ動的な存在の方が存続に有利に違いないというのは、確かに合理的な判断です。合理性が支配する無機的な世界では、合理的な方が存続しやすいことは事実です。
しかし、複雑に様々な要素が絡みあいつつ調和的に発展していく生態系のような世界では、死停止性の動的な存在が力を発揮することができるということなのでしょう。休眠停止性と死停止性の両方を取り込みながら複雑に発達できる点が、生きてくるのです。
その大きな理由は、多様性です。
単純な合理性で考えると、不利で世話のかかる存在である死停止性の動的な存在ですが、多様性の側面から捉えると全く違って見えます。休眠停止性の動的な存在だけではとても及ばない多様性が、死停止性の動的な存在の未来には広がっています。
この多様性が、死停止性の動的な存在に圧倒的な進歩の力をもたらし、休眠停止性しか持たない動的な存在を凌駕する複雑で高度な生命という現象を生み出します。
これが、生命のリドルに対する1つの仮説的な回答です。
<不死の世界と寿命の世界の未来>
休眠停止性と死停止性が織りなす生命のリドルと、その結末としての死停止性が細胞や生物の根源的性質であるという事実は、不死の世界と寿命の世界の未来を方向付ける鍵となっています。
死停止性、つまり死を根幹に取り込んだ寿命の世界では、限られた時間を精一杯生きるために、人々は多様性を持ちます。そして、生きたいという欲求の力強さと相まって、力強い進歩と発展の道を進んでいきます。対して、不死の世界の未来に待っているのは均質化と停滞です。
寿命の世界は、不死の世界から分離した時こそ圧倒的に少人数で、かつ、様々なリソースや技術の恩恵から遠ざけられてしまいました。しかし、多様性と生の渇望をバネにして不断の進歩を続け、やがては不死の世界を圧倒する技術や能力、リソースといったハードパワーを手に入れることになります。そして、そのパワーを使って、ソフトな形であれハードな形であれ、徐々に不死の世界の領分を侵食していきます。
その結果、奇妙な現象が起きます。不死の世界に、死の概念が生まれてしまうのです。
多くの人口を抱えている不死の世界は、その人口を維持するためのある程度の大きなリソース、つまりエネルギーや土地、資源や食料や水を必要とします。それを使って、AIやロボットたちが生産し、人々が不死になっているに過ぎません。
寿命の世界にその領分を奪われていくと、必然的に人口を維持するだけのリソースが不足していき、不死の世界に死者が出始めます。
そうすると、不死の世界にも死の恐怖、そして生への渇望が生まれます。これが強烈な衝撃となって、まどろみの中のピーターパンたちを叩き起こします。
そして、いち早く大人としての成熟的な思考に目覚めた先導者たちは、他の不死の世界の住人達に、ピーターパンでいることを禁じることになります。このままでは、死者が拡大するばかりだからです。単に遊んでいるだけの者たちからは、不死の権利をはく奪するという宣言をすることになります。死を取り入れることで、寿命の世界に対抗できるだけの力を取り戻していくのです。
死を基盤として力強い生命力を発揮する寿命の世界。
楽園から突き落とされ死を復活させることで力を呼び覚まさざるを得なかった不死の世界。
どちらも、結局は死を取り入れることでしか、生きることができない世界に帰着します。
どちらかの世界が他方を飲み込むのかもしれませんし、和解にするのかもしれません。いずれにしても、この2つの世界は、共に一つの世界から分離しつつも、また再び、一つに戻っていくのです。
そして、一つに戻ったその世界は、不死と死の両方を抱きかかえて、新しい時代を作っていくことになります。
おわり。
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