生命・知性・社会性の共通原理:アイデンティティのネットワーク
生物、知能、社会など、自律的に変化しつつ秩序を形成していく仕組みには、システムとして共通の性質があるように思えます。
これらのシステムの共通性について考えていく中で、私は当初フィードバックループの性質に着目していました。フィードバックループにより、より適応性の高い変化が残り、適応性の低い変化は消失することで、複雑な変化の中で秩序が形成されると考えられるためです。
これに加えて、アイデンティティという性質も、こうしたシステムにとって重要であると考えるようになりました。アイデンティティは、自他の区別をする性質です。
当初、アイデンティティはシステムの内部と外部の境界を決めている静的な構造として理解していました。そこから考えが少し進み、外部から入ってくるものや内側から生み出したものに対して異質であるか同質であるかという動的かつ受動的な活動も含んでいると考えるようになりました。そしてさらに考えを深めて、自己を再生産したり複製したりする能動的な活動もアイデンティティのための特性であるという考えに至りました。
この記事では、自律的に秩序を形成するシステムに共通する性質として、フィードバックループを持つアイデンティティのネットワークというモデル化を行います。この際に、アイデンティティの性質の深堀りし、分布の偏りと分散という形でモデル化するという視点を導入します。その上で、自律的に秩序を形成する様々なシステムが、アイデンティティとフィードバックループが存在し、それがネットワーク構造を持っている事を見ていきます。
これにより、生物、知能、社会といったシステムが共通の原理で自律的に秩序を形成していることを明らかにします。
■アイデンティティの維持方法
アイデンティティには、能動的に自分自身を再現することで維持する方法と、受動的に異質なものを排除することで維持する方法との2つの維持方法があります。
生物で言えば遺伝子による自己複製や自己維持が内側からの自己再現であり、免疫システムが異質なものの排除に相当します。多くの場合、この両方が組み合わされてアイデンティティが維持されます。
■アイデンティティの深堀り
能動的な自己再現は、いわば自己設計です。組織活動で言えば、ポリシーやガイドライン、コミュニティで言えば教育や社会化、個人で言えば信念や成功体験などが、この自己設計を支えています。
受動的な排除は、いわばセキュリティです。ホワイトリストやブラックリストによる識別、異常と正常の区別が、セキュリティを機能させます。
■分布の偏りと分散
遺伝子の配列パターンは、単にランダムに結合されていれば、様々な配列パターンが均一に偏りなく分布するはずです。
しかし、環境に適した遺伝子が残りやすくなるため、配列パターンが特定のものに偏ります。
個人の信念、コミュニティの文化、組織のポリシーも、様々なパターンがありますが、よりフィットするものが残り続け、自己再生されることで、特定の形に偏ります。
また、免疫やセキュリティにより受動的に異質なものを排除する事は、分布の分散を狭め、偏りをシャープにします。
つまりアイデンティティは、分布の偏りと分散です。
■フィードバックループ
分布の偏りや分散がアイデンティティであり、時間と共に変化して強化されるとすれば、そこにはフィードバックループがあることになります。
遺伝子にしても人格や文化やポリシーにしても、アイデンティティの偏りや分散が外界に影響を与え、外界からのフィードバックが偏りや分散に変化を与えることになります。
このループが繰り返されることで、偏りや分散が洗練されていき、分布がある形に落ち着く事になります。
■ネットワーク
あるアイデンティティの周囲にも、アイデンティティが多数ある場合があります。
この場合、フィードバックループの中に複数のアイデンティティが含まれます。また、1つのアイデンティティが複数のフィードバックループに属することになります。
つまり、多数のアイデンティティがネットワークを形成することになります。
それぞれのアイデンティティは、全く別の偏りや分散を持ちます。
そして、各フィードバックループにより、それぞれに含まれているアイデンティティの偏りや分散が同時並行で変化して、洗練されていくことになります。
■フィードバックループを持つアイデンティティのネットワーク
生態系は、遺伝情報をアイデンティティとした様々な生物がネットワーク状の構造となって影響を与え合い、フィードバックループを形成しています。
その中で、長い時間をかけて、それぞれの生物種のアイデンティティである遺伝情報や免疫が変化し、洗練されていきます。
同じように、複数の個人が社会の中でネットワーク状に影響を与えたり受けたりしながら、信念をそれぞれに形成していきます。個人だけでなく、複数の組織やコミュニティも、社会の中でネットワーク状に影響を及ぼしながら、文化やポリシーを形成して洗練させていきます。
生態系や社会の他にも、様々なレイヤーでフィードバックループを持つアイデンティティのネットワークが見られます。ニューラルネットワーク、化学進化、産業と経済などです。
■ニューラルネットワーク
脳はニューロンと呼ばれる神経細胞が多数集まったネットワークです。これはニューラルネットワークとしてモデル化され、人工知能技術の中心的な技術として応用されています。
ニューロンは、複数の入力信号を受けて、出力信号に変換する活動を行います。
この出力に、偏りと分散を持ち、出力結果に応じたフィードバックを受けて偏りと分散が変化して洗練されていきます。これにより脳とニューラルネットワークモデルは学習する事ができます。
これは、まさにフィードバックループを持つアイデンティティのネットワークです。
■化学進化
生命の起源に遡ると、生物が誕生する以前には、単純な化学物質から、DNAやRNAやタンパク質等の複雑な化学物質が自然に合成されていくプロセスがあったことが想定されます。
これは化学進化と呼ばれるプロセスです。
DNAやRNAは、それぞれ4種類のヌクレオチドと呼ばれる単純な化学物質が、長く鎖状に連なった構造を持ちます。タンパク質も同じように、20種類のアミノ酸が鎖状に連なった構造を持ちます。
各ヌクレオチドやアミノ酸は、どの種類のものが順番で繋がることもできます。このためランダムに接続されれば、各配列パターンの分布は均一になります。
ただし、ここにタンパク質やRNAの触媒作用によるフィードバックループが形成され、DNAやRNAの持つ遺伝情報が自己複製されたり、遺伝情報からタンパク質が再生産される事で、分布に偏りと分散が生じます。
そして、水中であれば、様々な配列パターンのDNA、RNA、タンパク質が影響及ぼし合うネットワークを形成する事ができたはずです。
このように、化学進化のプロセスにも、フィードバックループを持つ、アイデンティティのネットワークがあったと想定されます。
なお初期段階では、触媒作用が微かなもので、自己複製や再生産もごく部分的で低精度であったとしても、時間と共に様々なアイデンティティが洗練されていき、進化していったと考えることができます。
■産業と経済
工場で製品を製造する際、設計図に基づいて生産されます。
製品のバラツキをなくすことが品質向上のために重要になるため、原材料のばらつきを抑え、温度や湿度を調整したり、職人や装置の加工作業を安定させるように工夫します。
それでも製品のバラツキが抑えられない場合、生産した後でチェックをして、基準範囲から越えているものは不良品として取り除かれます。
ここにも、再生産と排除によって偏りと分散が調整される仕組みが有ることが分かります。
かつ、品質が良い製品が市場で評価される事で売上が伸びるため、フィードバックループが作用します。また、製品の原材料や部品も別の工場で生産され、そこでも偏りと分散が調整されます。
この事は、産業と経済全体も、フィードバックループを持つアイデンティティのネットワークとして捉えることができる事を意味します。
■さいごに
フィードバックループを持つアイデンティティのネットワークというモデルで、生物、知能、社会、そしてより詳細なレイヤーとして、生命の起源における化学進化システム、ニューラルネットワーク、産業や経済の共通性を説明できることが分かりました。
複雑で分析の難しいシステムである生物、知能、社会のマクロなレイヤーから出発して、これらの詳細なミクロのレイヤーにも同じモデルが適用できることは、大きな発見だと考えています。
これにより自律的に秩序を形成するシステムについて、化学物質、ニューロン、経済主体というミクロレベルから具体的な原理を分析することが可能になります。そして、その原理が生物、知能、社会といったマクロレベルにも共通に適用できることになります。