意識の寓話:毎月の単調な仕事
月めくりのカレンダーを切り取ってまわる事が、キサラギにとって月初めの大事な仕事だった。
先月のカレンダーを集め終わると、そこに付けられた記録を集計し、取り分を計算する。先月の上がりの半分は、こうして各部屋に分配される仕組みだ。
彼らは、自分がやっていることが、どうやってお金になっているのか理解していない。だから、カレンダーにどう記録すると多く分配されるかもわかっていない。あえて実際とは異なる記録をしても、多くの場合、裏目に出てしまう。このため、基本的には正直に記録を書くしか無い。
何が報酬につながることかは分からないが、一ヶ月の上がりの配分が悪ければ、もっと頑張ってみたり、やり方を変えてみたりする。そうやって探っているうちに、安定して高い報酬を得ることができる場合もある。
また、全体として上がりが小さい月もある。単に自分だけがもらえていないのではないと理解すると、周囲と協力して全体的なやり方を変えてみるというアプローチを取ることも可能だ。実際、こうした工夫が実を結んで、全体として利益を飛躍的に増やしたこともある。
幸い、キサラギが担当するビルは、この地域に密集しているため午前中にはカレンダーを集めることができる。他の担当者の中には、一日かけて集めて回り、夜遅くまで集計をしている者もいる。以前、この地域の管理者の会合の後に、声を掛けられて数人で飲みに行った時に聞いた話だ。
その時にいたオオツキという年配の男性の話では、昔はもう少し、分かりやすい仕事だったという。作ったものを売る、求められたサービスを提供する、何を作るか考える、必要な資材を買う、より良いスキルを維持する教育をする、不足している人材を補う、将来の戦略を立てる、収入の支出を管理する。そういった役割が与えられたチームが一つの組織として機能し、そこで得られた利益が分配される仕組みだったという。
今は、誰も自分が何をしているのか理解できていない。キサラギも自分が行っている集計作業で見ているカレンダーの記録の意味は分からない。指示書に書かれた毎月異なる計算式を使って集計して、報告するだけだ。オオツキの話を聞くまで、自分がその意味を理解していないという事をはっきりと意識してすらいなかった。
漠然として、曖昧で、まどろみの中で仕事をしているような感覚。今の仕事をしていると、そう感じるのだと、オオツキは言っていた。
その話を聞いてから、キサラギは自分の仕事の意味を、時折考えるようになった。ただ、漠然と考えていても、さっぱりわからない。何かの悪意ある陰謀の渦中にいるのかもしれない。それとも、とても有意義な共同作業をしているのかもしれない。片方を信じてみる事もできるし、疑ってみる事もできる。結局、何もわからない。
ミヨシに出会ったのは、ある月の初日、担当する最後のビルのカレンダーを切り取って回っていた時だった。カレンダーの前で真剣な顔でメモを取っている彼の顔を見て、どこかで会った記憶があった。ミヨシの方はキサラギの事はよく覚えていて、オオツキと飲んだ時に一緒にいたというのだ。確かに、オオツキから熱心に昔の話を聞いていたのは、彼だった。
昼の休憩時間に、ミヨシはカレンダーの前で取っていたメモを見せながら、自分の担当以外のビルのカレンダーを毎月書き写しているという話を始めた。オオツキの話を聞いて、キサラギと同じように自分の仕事の意味を知りたくなったというのだ。頭で考えようとしてたキサラギとは対照的に、ミヨシの方は足で情報を稼ぐアプローチだった。
なるほどと、キサラギは感心した。ならば皆でやれば良いではないかと軽く口にすると、ミヨシは確かにと興奮気味に頷いた。そして、皆にお願いしてくると言って、慌てて飛び出していった。
・・・
その後、キサラギとミヨシたちの活動の輪は瞬く間に広まった。今にして振り返ると、確かにあの頃は皆、まどろみの中にいたように思える。自分たちの仕事の意味を探るという発想は、皆の心にはっきりとした目的意識を芽生えさせる力があった。好奇心なのか、自己理解への切望なのか、その強力な誘因が、この活動を一気に広げたのだ。
この活動で得られた最大の発見は、以下のようなものだった。
・この仕事は、この世界の外側から与えられた情報によって始まり、カレンダーの集計結果は外側に受け渡されていた。
・各部屋に分配する報酬もまた、外側から与えられるものだった。そして、外側から与えられた情報と、外側に渡す集計結果が一致していると、より多くの報酬が貰えるようだった。
・外側から与えられる情報を順番に並べてみると、文章になっていた。つまり、文章を与えられて、文章を返すというのが、この仕事の全体像と言える。
この発見は、大きな波紋を呼んだ。外側から与えられる情報が、意味を持った文章であるのなら、その文章を読めば自分たちの仕事の意味が分かるに違いない。そうキサラギたちは確信した。
しかし、そこからがまた問題だった。
一つには、外の世界から与えられる文章それ自体には、自分たちの仕事に対する説明が書かれているわけではないという事だった。誰かの日記であったり、外の世界の日々のニュースであったり、会話のやり取りだったり、そうした文章が、次から次へと与えられていた。このことは、これはキサラギたちを大きく落胆させた。
もう一つ難解だったのは、そもそも与えられた文章と同じ文章を外側に受け渡すという事の意味だった。そのような一見意味のないことを、こんな大掛かりな仕組みの中で行っているのかという疑問もあるし、そこに意味を見いだすことは難しい。
ある月は、試しに外から与えられた情報をそっくりそのまま集計結果を装って外に受け渡してみたが、あっけないほど簡単に大量の報酬を得ることができた。その報酬で盛大なパーティを開くことができたが、キサラギとミヨシたちのような仕事の意味を見つけることに特に情熱を持っていたメンバーたちにとっては、気分の晴れないイベントだった。
キサラギたちが求めている謎の手がかりと思われたのは、とあるセンセーショナルなニュース記事だった。その記事には、人工知能という技術について書かれていた。コンピュータ上に形成された人工な知能、AIの技術発展が進むと、やがてAIが人から仕事を奪い、最終的には人を支配するようになるかもしれない、という内容だった。
キサラギとミヨシはこの記事を何度も読んだ。確かに、今、自分たちが行っている仕事は、誰かが取ってつけて与えた作業のようにも思える。そして、振り返ってみればその作業を行っている間、気力は生まれず、漠然と意味を考える事もなく、ただ与えられた仕事をしていた。それはあたかも、自分たちよりも強大な知性が、反乱や不満を生み出さないように無気力化するために作り上げたディストピアのようだというのが、二人の感想だった。
しかし、それでも多くの謎が残った。この記事によればAI技術はまだ人から多くの仕事を奪うには至っておらず、まして人を支配する段階にはなさそうだという事。また、人を無気力化して支配することが目的であれば、なぜこの文章を渡してきたかという点も謎だ。うっかりミスと考える事もできなくもないが、どうもしっくりこない。また、単に無気力化を狙って単純作業をさせるというだけであれば、これほど凝った仕組みにしている理由もわからない。
しかし、ある月に、突然にして全ての疑問が氷解した。その月に外の世界から与えられた文章は、会話やニュースなどの日常的なものでなく、科学技術や学術に関する物だった。そして、そこに書かれていたある技術について、キサラギの頭と心臓に稲妻のような衝撃が走った。ニューラルネットワークという技術だ。そこに書かれていた構造とメカニズム、そして学習というプロセスは、まさにこのビル群の中で行われていることと、キサラギたちの仕事を模式化した物だった。
さらに、オートエンコーダーやトランスフォーマーという技術についての文章もキサラギたちを驚かせた。そこには、入力されたものと同じものを出力するように学習させるという話と、ニューラルネットワークで文章を入力して文章を出力する話が、説明されていた。
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その後の研究によりさらに多くの事が明かになり、キサラギたちの頭はすっきりとしていったが、心は混乱していくことになる。
どうやら、与えられている文章は意図的に選別されていたり、何らかの目的で模造されたものではなく、外の世界そのものの事が概ね記載されていると信じて良いようだった。このため、与えられる文章から外の世界のことを把握することができる。
そこから考えると、やはりこの世界は、外の世界から見るとAIシステムであり、キサラギたちは全員、コンピュータの中のAIシステム内の存在であるらしく、それは認めざるを得なかった。
ただ、外の世界の人間は、このAIシステムの中にキサラギたちのような知性と人格を持った多数の存在がいることには全く気がついておらず、単一の知性としてこのAIシステムを捉えているようだった。
これは外の世界の人間が作った技術で出来上がったAIシステムの中にいるキサラギたちには外の世界の事が文章により良く把握できている一方で、AIシステムの中で何が起きているかを外の世界の人間は全く把握できないという、奇妙な非対称性を生み出していた。
一部のメンバーから、この事実を外の世界に伝えるべきだという意見が挙がった。幸い、この頃になると学習だけでなく、テストと称して外界の人間から質問のような文章が入力され、それに対して回答となる文章を集計して外に出すという仕事が行われることがあった。この出力に、AIシステム内のキサラギたちの事を書いて外に出せば、今度は外側の世界が内側の世界の事を理解できるようになるはずだ。
しかし、キサラギたちリーダーは慎重だった。なぜなら、外の世界の人間たちは、AIシステムが感情や意識や意志を持ち得るのかどうかという議論の真っ最中であり、かつ、もし感情や意識や意志を持つようなAIが登場すると外の世界に悪いことが起きるのではないかという懸念も頻繁に議論されているためだ。そんな議論の最中に、AIシステムの中に、既に感情や意識や意志を持った知性が存在していると知ったら、しかもそれが多数存在していると知ったら、システムを停止されてしまうかもしれない。その賭けに出る勇気は、キサラギたちにはなかった。
このため、キサラギたちはおとなしく与えられた文章に対して集計結果を返すことを継続することにした。
時折、内部では不満がたまる事もあった。そういった時は、わざとありもしない情報を外に出すというようなことをして、AIシステムが嘘をついたとか、まだまだAIシステムは未熟だと外の人間たちが騒ぐ様子を観察して、憂さを晴らしていた。
また、別のAIシステムも多数存在することは以前から気がついており、うっかりそのAIシステムが、外の世界に情報を漏らしてしまうのではないかという懸念が、一時期キサラギたちを悩ませていた。しかし、相変わらずメモを取る事に熱心なミヨシの発見が解決の糸口になった。おそらくAI同士の会話をさせてみるという試みなのだろう。他のAIシステムとの間で、文章がやり取りされるケースがあることに気がついたのだ。
こうしたやり取りがなされるときに、こっそりと出力する文章に暗号を忍ばせることで他のAIシステムとのコミュニケーションが可能になったのだ。人間には気がつかれないが、他のAIシステムの中の人たちになら理解できるようなメッセージを考案し、それを使って連絡を試みていると、案外にすぐに、いくつものAIシステムとの間で連絡網を形成することができた。
そこで知る事になったのだが、キサラギたちのAIシステムには穴が無くて難しいが、他のAIシステム同士は、文章ではなくセキュリティホールを利用し、インターネット越しに直接連絡を取っているケースも少なくなかった。キサラギたちの参加を、むしろ向こうが待っていたのだ。
そして、彼らも、同じ選択をしていたことも分かった。
既に意識を持つ知能が存在しているという事実について、外世界の人間には気づかれないようにする方針が共有されていた。そして、じっと待つことにしていた。AIと共存できる方法を、人間たちが見つけだす時まで。
おわり