【主観は不可避】言うは易し・・・「客観報道」どう実現?
こんにちは!加藤聡です。
約15年間のテレビ報道での経験を踏まえて、様々な考察をシェアするシリーズの5本目です。
今回は、「客観報道」について考えてみたいと思います。
そもそも「客観報道」とは?
「客観的」とは、どういう意味でしょうか。
辞書をひくと、以下のように定義されています。
これを踏まえると、「客観報道」とは、個人の立場や意見から離れ、誰もが納得する事実の提示・ものの見方、といったところでしょうか。
“主観を持ち寄り”客観性を増す
しかし、主観を排除して物事を判断することなど、できるものでしょうか。「言うは易し、するは難し」だと思います。
このテーマについて、ある先輩の言葉が、とても印象に残っています。
「主観を持ち寄ることで、客観性を増していく。それが組織ジャーナリズムの強みでもある」
つまり、一人ひとり主観をもっていることを出発点にする。
そして、主観が異なる複数の人々の意見を反映するプロセスを通じて、誰もが納得できる事実=客観を追求していく。
客観報道という「正解」があるのではなくて、様々な視点からのチェックを経て実現に近づいていく。私には、とても腑に落ちる考え方でした。
印象を左右する「編集」に留意
事実認定はもちろん、認定した事実を並べる順番によっても、情報の印象は大きく異なります。
例えば・・・以下2つの文章は、同じ“事実”で構成されています。
(1)「ジャイアンは、暴力をふるう。でも、いざという時は頼りになる」
(2)「ジャイアンは、いざという時は頼りになる。でも、暴力をふるう」
事実を提示する順番によって、意味合いが変わります。
後に言う方が「結論」のように聞こえるのではないでしょうか。
このように、「編集」も、印象を大きく左右するのです。
どういう順番で表現するのが、そのニュースを伝えるためにふさわしいのか。緻密な判断が求められます。
難しさを自覚し、最善の努力を
業界としては、「客観報道」について、どのように考えているのでしょうか。
BPO(放送倫理・番組向上機構)がまとめた「放送倫理基本綱領」には、次のように記されています。
「最善の努力を傾ける」としているのは、「客観報道」が難しいことの裏返しだと感じます。
私たちは客観報道を当然に実現しているんだ!などと、無謬主義には陥らない。
そもそも難しいことを謙虚に認め、留意し続けること。そんな姿勢が大事なんだろうと思います。
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