KATO Ryota 加藤良太

アドボカシー・オーガナイザー。NGOとかNPOとかの運営の人。キリスト者。「まったり」と「大胆」が手を取り合ってめがねを掛けて歩いている、と人は評します。

KATO Ryota 加藤良太

アドボカシー・オーガナイザー。NGOとかNPOとかの運営の人。キリスト者。「まったり」と「大胆」が手を取り合ってめがねを掛けて歩いている、と人は評します。

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私的、都知事選2024総括。

(2024年の東京都知事選(7/7)の個人的な総括をX former Twitterにつぶやいたもののまとめです) 総じて思うに、都知事選というのは、これまでも有名人候補や空中戦を展開した候補が、組織戦を展開した候補より大量得票したというのは間々あったことなので、それとしての総括は必要だが、必要以上に国政選挙と重ねて過度に落胆したり、無理に教訓を得ようとする必要もないように思う。 強いて都知事選の総括をするとすれば、自治体首長選で、国政与党系でも野党系でもない第三候補が躍

    • 私はALPS処理汚染水の海洋放出に反対です。

      私は少なくとも、過去に生じた公害問題に取り組んだ市民運動や、国内外の開発による被害に取り組んだ市民運動の先達たちの話を聞き、その教訓を引き継いだものとして、今回の福島第一原発事故による汚染水をALPSで処理をしたとされるもの(以下、ALPS処理汚染水)の海洋放出には賛成できない。 今回のALPS処理汚染水の海洋放出に際しても、海洋放出を正当化する立場から多くの科学的根拠とされるものが提示されるが、これは、過去の公害や開発による被害の際も同様で、科学的根拠とされるものは常に、

      • キリスト教×法衣店コラボのモノづくりにチャレンジする(2)

        (【ご案内】前の記事(キリスト教×法衣店コラボのモノづくりにチャレンジする(1))を読んでない方は、そちらを先に読んでいただけるとありがたいです♪)  じゃーん! これが私、キリスト者の加藤良太と直七法衣店さん(以下、ナオシチさん)の、キリスト教×法衣店コラボで制作した新たなプロダクトです。拍子抜けするくらいしっくりきてるので、あまり新しいと感じないかもしれませんが、結構じっくりと検討に検討を重ね、半年ほど時間をかけて、丁寧につくったのですよ。名前は、ひとまず「和様(わよう

        • キリスト教×法衣店コラボのモノづくりにチャレンジする(1)

           京都・西洞院通七条上ル。ちょうど西本願寺と東本願寺に挟まれたエリアにある、直七法衣店さん(以下、ナオシチさん)。真宗系の仏教宗派で用いられる法衣(僧侶の衣装)を中心に製造販売されているお店だが、四代目当主の川勝顕悟さんは伝統的なお商売の枠にとらわれずに、仏教やキリスト教を含む諸宗教など信仰の世界を現代に伝える講座「直七大学」をはじめたり、国内キリスト教人口の少なさ=国内市場の小ささのために業者も少なく、選択肢が少なかったキリスト教祭服の分野にチャレンジされたりと、意欲的な方

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        • 谷山さん記事
          1本

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          私たちは、何と名乗るか  〜NGO・NPOの「自称」をめぐって〜

           市民(これは好みで人々、民衆、大衆、人民と置き換えてもよい。以下同じ。)主体で取り組まれる社会的な活動(やそのための組織)であり、運動性とともに一定の事業性・継続性をもち、比較的、非党派的(政治的・イデオロギー的でないとは限らない)な活動・組織をどう呼ぶか、その渦中にいる当事者として、いろいろと悩み、時に葛藤も抱えてきた。口幅ったい言い方をしたが、要するに上記で述べた活動・組織は日本でいうところのNGO・NPOのことなのだが、個人的にどうもそれがしっくりこない。口馴染みが悪

          私たちは、何と名乗るか  〜NGO・NPOの「自称」をめぐって〜

          キリスト教と霊性について思ったこと

          (この記事は2021.2.14の連続ツイートをまとめたものです)   キリスト者における霊性ってなんやろ。僕は尽きるところ、神さまから与えられた愛の器である自分の「ココロ」を大事にすること、聖霊の息吹を迎え、熾火を灯し続ける「霊の宮」として整えていくこと、なんだろうと思っている。  そのためには、時にはココロをストレッチしたり、あるいは耕したり、色々に思い乱れる心をファスティングしてみたり、時には精一杯抱きしめたり、時には心の赴くままに遊ばせてみたり・・・手をかけてあげな

          キリスト教と霊性について思ったこと

          あれから26年

          あれから26年か。あの日のこと、それからの日々、そしてこの26年。いろいろなことを思い出す。その思い出に関わる人たちも四半世紀を超える年月の経過の中で、ある人は老い、ある人は若くして亡くなった。 震災のあの日と、それからの日々のことは強烈な経験と記憶だけれども、それによって「生き方」を変えられた人々のこと、その人々のそれからの日々のことの方を強く思い起こさせられる。この26年という年月には、そういう追想をするに十分すぎるくらいの年月の積み重ねがある。 しかし、この26年、

          あれから26年

          2020年の年末に思うこと

          2020年の年末を迎え、仕事納めのデスクワークをしながら、今年も色々あった年だなぁ・・・と思いを致しつつ、連続ツイートしてみましたので、それをまとめてご紹介します。(以下、自身のツイートを転載) 日本社会の年末は、性的役割分業を固定化したり、性差別を内包する言葉遣いを無自覚にする人たちが批判を受ける、そのお気持ちを慮れ、批判側は態度や言葉に気をつけろ、なる言説に溢れているが、こんなの、国際的に見れば「人権感覚に乏しい社会」と一刀両断なんだよな、と言うしかない。 そういうこと

          2020年の年末に思うこと

          ジャーゴンにされた「伝道」と「社会活動」 -クリスチャンプレス・石橋秀雄氏インタビューを読んで-

           弁護士や医師のような専門職の人々や、宗教者からヤクザに至るまで信条や「生き様」を共有する人々は、同質性が高く、排他性を持った共同体(ギルド、セクトなど)を形成することが多い。その構成員は、外部で通用しない専門用語や隠語などの「ジャーゴン」を内部の結束力を確認し合うために、しばしば互いのコミュニケーションに用いる。ジャーゴンには、外部の者が聞いても全く意味の分からない語もあれば、一般用語としても存在するが、ジャーゴンとして特別の意味や、一般社会と全く違う意味が付された語も存在

          ジャーゴンにされた「伝道」と「社会活動」 -クリスチャンプレス・石橋秀雄氏インタビューを読んで-