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トロッコ問題には意味が無い

何回かトロッコ問題について書いていますが、今、思っているのは、トロッコ問題って意味が無いな、ということで。何故かというと、抽象的な問題でして、どっちにトロッコを切り替えるかは、もし現実にそのような問題があったとしても、周りの状況に関係していることだから、です。トロッコと、切り替え責任者(あなた)だけという、切り取られた世界の問題では無い。いわば、どうでもいい、遊びだなと思っています。

抽象化することで、意味が無くなるんです。でも、世の中のほとんどは、抽象化することに意味があると思っている。だからテスト勉強をするわけです。ペーパーテストなんていうのは、抽象化の最たるもので、最も素晴らしい抽象化は数学だと思いますが、でも、数学それだけだったら意味が無いんです。抽象化して、とある法則を見つけて、それを具体的なものに落とし込んでいく──工学で、初めて、意味あるものになる。

ですから、抽象化された知識を生かして、現実に働きかけることは、大いに意味があるんです。具体から抽象、そして抽象から具体、という、これがくるくると回らないと意味が無いんです。で、抽象から具体に落とし込むときは、失敗しますよ。だからロケットは時々、落ちるわけです。

何が問題かというと、現代の知識とか、なんというか、行動の多くが、抽象寄りになっているということです。そりゃ、学校で何年間も「抽象」だけを教え込まれるわけですから、そういう行動パターンになってしまう。こうなるはずだ、正しいことがある、そういう考えになる。もちろん、そのプロセスも必要なのです。だって、情報を人と人と話す時点で、少なからず抽象化するわけです。じゃないと、話が通じませんから。

人間の優れた能力は、コミュニケーション能力ですが、これは、個々の具体的な体験を、抽象化して共有することです。だから知識は広がる。でも、その知識は再び、具体に落とし込まないと、意味が無い。そしてこれが集団になると、現場以外は、抽象の世界に生きる。世界(環境)と接するのは、現場です。織田裕二さんの、会議室で起こっているんじゃない、ってやつです。あれが抽象(会議室)から具体(現場)への落とし込みで、そこには、よく、抽象には含まれないものが出てくる。だから織田裕二さんが激おこになるのです。

抽象から具体への落とし込みは、いわゆる「行動力」です。やってみる、そこで、予想外のことが出てくる、その具体的な経験をまた抽象に戻す、そして行動の精度を上げていく。という繰り返しなわけです。で、いわゆる減点主義だと、行動しなくなるのは、当たり前でしょう。抽象から具体は、エラーが出ます。だって、抽象は所詮、抽象なんですよ。現実、その通りにいくケースも、あるは、あるだろうけど、そればかりのわけが無い。とすると、減点主義の場合、行動しないのが最適解になるわけです。

大きな組織になればなるほど、そうなるのは、大きいということは、人間集団が階層構造になる、抽象化が進むんです。コミュニケーションは少なからず抽象化だと書きましたが、それが、例えば0.8の係数の抽象化だとしたら、5段階になれば0.8の5乗になって、0.3くらいになるわけです。そこで、文章による「決まり」が出来る。最たるものが法律です。そういうものは、普通、現実には適合しません。

じゃあ、法律を運用するにはどうしたら良いかというと、一つは、これは西洋的な手法ですが、法律を常にアップデートする。法律を変えるわけです。日本の場合は、法律という概念がせいぜい明治以降に外から来たものだからだと思いますが、変えるという手法が根付かず、「解釈」を変えるという方法になりました。憲法解釈、とかね。ま、どっちにしろ、法律という固定化した抽象概念が、変わり続ける具体的な世界に適合するのは、無理だから、変えるとか、解釈を曖昧にするとかしないといけないよ、ということです。

ですから、抽象化された知識は、役には立つけど──だって抽象化された知識なくしては、自動車も飛行機もありませんから──、役には立つんだけど、それ事態には意味がありません。具体的に落とし込んで、初めて意味が出てくる、ということです。だからね、とりあえずやってみよう、ってことですよ。もう、知識は十分ですから。はい。またあした。

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