「お腹がすいた時にはね」と、10代後半の彼女が小学生の私に言ったひとこと
その女の子が我が家にやってきたのは、1979年の晩秋のことであった。昭和でいえば54年で、私が小学4年生の時である。
その頃我が家は三世代家族で、祖父母と両親と私と妹、それに父の弟にあたる叔父の7人が同じ家に住んでいた。そんな中にその子はやってきた。
「その子」と書いたが彼女は当時16歳か17歳で、当時小学生だった私にとってみれば十分「お姉さん」である。彼女、Tちゃんは母方のいとこで他県にいたが、中学を卒業して家で何もしないのを彼女の親が見かねて、しばらくうちに預けられることになったようである。
うちの実家は飲食店を経営しており、両親と叔父がそこで仕事をしていた。Tちゃんは、おそらく昼の仕込みを手伝い、夕方みんなで一緒にまかないのご飯を食べたあと、夜は料理を運んだり、お皿を洗ったりといった仕事をしていたのだと思う。
私や妹が起きる時間帯には、Tちゃんはまだ布団の中で寝ていたように記憶している。私と彼女が会えるのは、夕方お店で食べる食事の時と、うちの両親よりも早めに帰宅した彼女を迎える夜の時間、そして休日とほんの少しだけだった。
小学4年生の10歳の女子にとって、よそからくる年齢が比較的近いお姉さんというのは本当に興味津々な対象であって、おそらく私はいろんなことをしゃべったり聞いたりしたのではないかと思う。だが、記憶の中の彼女は眼鏡をかけていて無口で、あまり多くを語らなかった。なので余計にその発言が強烈に記憶に残っているのだとおもう。
ある、休日のお昼のことだった。私はたぶん、10歳の私でも作ることができるレシピについてしゃべっていたのだと思う。当時我が家に電子レンジがやってきたので、プロセスチーズをチンして作るおせんべいとか……。Tちゃんもお腹がすいたら作ってみるといいよ。そう私は、新しく知ったレシピを少し自慢げに彼女に語ったのだと思う。すると、彼女はこう言ったのである。
「お腹がすいた時にはね……
煙草をすうの」
そこで会話は終了した。私はすごすごと引き下がり、それから彼女にはこの手の話題をふらなかった。
この発言から、色々なことを拾うことが可能である。うちの親たちがそれを知っていたのかは不明であるが、私自身は彼女が煙草をすっていることを知っており、それをそれほど悪いことだとはおもっていなかった。我が家も祖父母、父親がヘビースモーカーであり、私たち子どもは副流煙にさらされて育った。未成年の飲酒に対して同様、未成年の喫煙に対しても、比較的寛容な世の中だった。昭和50年代半ばの地方都市はそんな感じだったのである。
ああ、煙草というものは空腹を満たすのか、と当時の私は素直におもった。そして、年齢にして6,7歳ほどしか離れていないのにもかかわらず、Tちゃんと私に横たわる大きな壁のようなものをはっきりと感じた。だからといって、煙草を吸うことがかっこいいことだとはおもわず、今に至るまで喫煙の習慣とは無縁であるが。
その発言とは関係なく、結局Tちゃんは我が家に身を寄せる生活が長く続かず、数か月で実家に戻ってしまった。私もそれからしばらく、彼女とのことを忘れてしまった。
Tちゃんのことを思い出したのは、中学校に入って友人からある漫画の単行本を渡された時である。それは、彼女が我が家にやってきたときに持って来ていた『mimi』という雑誌に第1話が掲載されていた作品だった。当時10歳の私も借りて読み、昔のお話で難しいことと、ちょっとエッチな場面があるので子どもが読むのはどうかとおもう印象をもった。だが、作画の美しさと物語の切なさと面白さは強烈に記憶にのこった。
その漫画の名前は、大和和記の「あさきゆめみし」である。Tちゃんが我が家にやってきた年をはっきりと記述できるのは、『mimi』での同作品の連載開始が1979年であるからだ。ぼんやりとしている昔の記憶の中で、あの時の彼女の発言と、「あさきゆめみし」第1話をリアルタイムで読めたという幸運が、彼女との生活を思い出すものとしてはっきりと私の中に刻印されている。(了)