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佐世保の体育館で見たクールファイブ

今日、ピアノのコンサートに行ってきた。前から10列目のなかなかいいお席で、壇上のピアニストのお姿がよく見えた。ピアノを演奏するその方を見ていたら視界が暗くなってきて、あっ、これはどこかで経験したあの感じ……と子どもの頃の記憶が蘇ってきた。

1970年代の後半のことである。私は長崎県の県北の街・佐世保の小学生だった。うちの実家ではその頃クールファイブを応援していた(クールファイブが分からない若い方はググってください)。ボーカルの前川清さんが佐世保のご出身であるということもあるが、ベース担当の小林正樹さんも佐世保の方であり、しかもうちの父とは長崎県立佐世保南高等学校でクラスメイトだったようである。

その頃、クールファイブはヒット曲もあったし、何より当時飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていた萩本欽一さんの「欽ちゃんのドンとやってみよう」にレギュラー出演しており、日本国中で知らない人はいないくらいの人気だった。

ここからは、いつものように私の記憶に頼って書いていく。どのようないきさつかは不明だが、佐世保南高の同窓会が企画してこのクールファイブを佐世保に呼ぶことになった。その時のイベント名が「小林正樹を励ます会」であった。励ますも何も、既に売れっ子なんだから……と今となっては違和感があるが、まあ、同じ高校を卒業した者として同窓生にエールを送りたかったのだろう。

そのイベントの会場は、競輪場の近くにある佐世保市立福石中学校だったように覚えている(違ったかもしれない)。私も父と一緒に参加した。色々と細かいことは忘れたのだが、満席の会場で私の椅子は前から5,6列目だった。当時の前川清さんはとっても男前で、笑いのセンスがあって、そして売れっ子のオーラが漂っていた。「クールファイブ人気はドラム担当の宮本さんの髪の毛と同じと言われた」と言って観客をいったん驚かせ(宮本さんはハゲキャラだった)、「ところがどっこい」と言って宮本さんを後ろ向きにさせて「後ろにはこんなに髪の毛が残っていますよ」と笑わせた。この時の「ところがどっこい」という彼のツッコミの台詞は、前川さんの佐世保訛りとともによく覚えている。

冒頭の話に戻る。前川さんがボーカルを取ってのクールファイブの曲が何曲だっかかは覚えていない。ただ、私は、「ずっと同じ場所を見続けていたら、そのうち視界が暗くなる」ということをその時に学んだ。前川さんは、前の方に座っていた私とずっと目を合わせていたとその時は思っていた。ただ、小学校では「クールファイブの歌を生で聞いた」話はしなかった。子ども心に「演歌」(彼らの歌はムード歌謡にジャンル分けされるのかもしれないが)を聞きに行ったことは、なんとなく恥ずかしかったからだ。

さて「主賓」の小林さんであるが、クールファイブとしてのコーラスはもちろん、ソロでも歌われた。歌はなんと、当時のヒットソングである世良公則とツイストの「あんたのバラード」!! しかも、見慣れたスーツ姿ではなくてエルビス・プレスリーっぽいロックな服装であった。あの時の小林さん、すごくかっこよかった……。そして歌がうまいことも驚きであった。

ネットによれば「あんたのバラード」の発表は1978年11月25日である。とすると、このコンサートはおそらく1979年の最初の時期にあったのだろう。私は小学校3年生、体育館では寒かったからか石油ストーブが焚かれていた。(了)





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