『マチネの終わりに』

平野啓一郎さんの本書を今ごろ読了。単行本が出版された折に既に話題になっており、私の師匠(若い頃、文学青年でとある大きな賞の受賞候補者にもなった方)も褒めておられたので、いつか読みたいと思っていたのですが。

最初は6月中旬に2週間ほど出張が重なる時期があって、移動の車中で読もうと思っておりました。ところが、そういう時は別の仕事を抱えていたりして、結局スーツケースの中から出すことがないまま、先週になりました。

先週から、少しずつ読み始め、「ちょっとこれは大切に読み進めるべき本だな」と思ったので、本当に1日に1章ずつ、読んでいたのです。当初は。だけど、第6章「消失点」の例の「事件」の後、「ええっ! 」となってそれからはその「ていねい読み」が無理になりました(苦笑) 「ページを繰る手ももどかしく」な感じで一気呵成にラストまで。大人の恋愛ストーリーを楽しむつもりだったのに、「謎」が投げかけられたサスペンスの終わりを見届けたい思いが強くなったといいますか。

本作は新聞の連載小説として発表されたそうで、そうした読み方は単行本としてまとまったが故なのですけど、いくら作者が止めようとしても、物語のものすごいうねりが私を飲み込んでいく感じ。おかげで久々に「小説を読むのに夢中になって寝不足」という経験を得ました。十何年ぶりかもしれません。つまり、それほどまでに引き込まれる作品だった、ということです。

とはいえ、本小説はあちこちに「元の事象や作品をひもといてみたらもっと面白く読める」仕掛けがしてあります。終盤の辺りに「ジョン・ケージの4分33秒」という作品のことがさらっと書かれていますが、あの作品のことを想定して読むのとそうでないのとでは面白さが若干違ってきます(知らなくてももちろん読めますが)。そういう意味で、たとえば作品中に出てくる音楽を鑑賞した後で読み返す、などの楽しみが可能となるかもしれません。いずれにしても、もう一度、こんどこそは丁寧に読んでみたいと思いました。

なお、本作が映画化されるということを読んでいる途中で知りました。配役をあえて知らないままに読んだのですが、福山雅治さんが主人公と聞いて納得。ただ、ギターは超絶技巧も必要とされるようなので、吹き替えかなあと勝手に思ってました(それこそ福田進一さんとか)。でも福山さんはギターも弾く人だし、実演なんでしょうかね。福山さんは長崎出身で被爆二世なので、実はその辺のことも考慮されての上での配役なのかもしれません(原作ではヒロインの母が被爆者)。

そしてヒロイン、私の脳内では滝川クリステルさん一択でした。石田ゆり子さん、お美しいですけど「ハーフ」感がないですよね。「お父さんがヨーロッパ人」って設定ではなくなるのかな。だとすると、物語の深さが消されてしまうような。

などということをつらつらと考えてしまいました。


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