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学びを楽しくするために何が必要か?(5)- 子どもの効力感を育む。というよりも、奪わない(その3)
前々回、学びを楽しくするために必要なものの2つめとして、子どもがもつ効力感をあげました。そして、前回、学びについての効力感は生まれた時からみんな持っているはずであること。学習性無力感がそれを蝕んでしまったのではないかということを考えました。
今回は、どうすれば、それが回避できるのか?について考えてみたいと思います。
効力感とは、「自分が行動すれば、自分のおかれた環境をもっと良い環境にすることができる」と信じることができる状態でした。学びについてそのように信じることができるようになるためには、「学ぶことを通じて、ある状態が望ましい状態に変わった!」という経験をくりかえし積むことです。
というより、今回の文脈では、もともと繰り返しこのような経験を積んで成長し、効力感がある状態だったにもかかわらず、それを上書きするように、「学ぶことを通じて、ある状態が望ましい状態に変わらない」という経験を繰り返しかつ強制的に積ませることに問題があるということになります。
他人と比較することで効力感を失う
学びには個人差があります。例えば、一斉指導スタイルの授業のように教材や教え方が同じなら、同じ学習単元を習得するスピードは子どもによって異なります。この時、習得に時間がかかる子どもが、「自分はクラスメイトよりも習得に時間がかかる」という事を把握しやすいような学習環境であったり、仮に「自分はクラスメイトよりも習得に時間がかかる」という事を把握したとして、そのことについてネガティブな感情をもってしまいやすい学習環境がデザインされていることは望ましくありません。
例えば、子どもに課題を与えておいて、「はい、時間なので手をとめてください」「これわかった人?」という私が経験した授業の進め方は、上の観点から望ましくないと考えられます。
そして、もちろん「テスト」の扱い方にも相当の注意が必要です。
ある研究では、他人との比較ではなく、自分との比較ができるようにデザインされた状況の方が、モチベーションを高く維持しやすい。ということが示唆されています。
ちゃんと"わからなく"なれないことで効力感を失う
「わかった!」という感覚は快感です。学びを通じて「わかった!」という経験が繰り返されれば効力感は失われないはずです。
「自己学習能力を育てる(波多野 1980)」という本にとても私の好きなとても印象的な例が引用されています。
突然、チイちゃんが「わかったァ!」と叫んだ。びっくりすくらい大きな声だった。ぼくは彼女をまじまじと見た。「そうか、わかったよ、あたし」と彼女は言い、パッと笑った。ぼくはキツネにつままれたような気持で、説明の続きにかかる。「もう、言わないでよ、わかったんだから」と、チイちゃんは叫び、両手で耳をふさいだ。あとの三人は、そのとき仲間のひとりの内部でどういう変化が起こったのか、察知したようだった。「わたし、まだわかんない」と、怒ったように三人のひとりがいう。チイちゃんは、やにわに問題用紙とエンピツを持って、部屋のすみに走った。すみで床の上にじかにうずくまり、左て一本で二つの耳をふさごうと苦心しながら、右手のエンピツで問題を解きにかかった。呆然としているぼくに、三人が言った。「早く、教えてよ、早く!」三人の目の色がちがっていた。わからないでおくものか、という迫力があった。説明を再開すると、あっという間にその三人も「わかった!」と叫んだのである。…
「わかった」四人のはしゃぎようは大変なものだった。暗くなったというのにちっとも帰ろうとしないのだ。黒板に落書きし、ぼくにしゃべりかけ、机を片付けるのを手伝ってくれる。四人四様、いま起こった恥ずかしいほどの感動をもてあましているみたいだった。
このような感動に至るには、あたりまえですが、「わからない」という状態がその前段階に存在する必要があります。学習する環境に「わからない」がなければ、「わかった!」がないので、「望ましい状態に変わった!」という体験をすることができない、効力感を失う活動になってしまいます。
しかし、子どもに、ちゃんと「わからない」という状態になってもらうには工夫が必要です。
例えば、一般的な算数の教科書には例となる課題が記載され、その直後にその解法が示され、その後に類題があります。解法は洗練されて非常にわかりやすく記載されています。書いてある通りに読んでいくと類題が解ける。ここには、「わからない」という状況が存在しません。理科や社会の教科書にも、事実が淡々と記載されていて、順番に読んでいけば書いてあることはわかります。ここにも、「わからない」という状況が存在しません。(認知心理学では"流暢性の罠"と呼ばれたりするそうです)
ある研究で実施された実験(マークマン,1977)です。子どもにある課題を実行してもらうのに先立って、その課題の手順を詳細に説明します。しかし、わざと1つ手順の説明を省きます。その手順がなければ課題は絶対に実行できないようになっています。そして、その省いた手順についての質問を子どもがするかどうか観察します。質問しない場合は、手順が抜けていることを間接的に示唆するような問いかけをします。その結果、学年の低い子どもほど、実際に手を動かして課題を実行してみるまでは手順が抜けていることに気づかない。学年があがると実行する前に手順が抜けている事に気づきやすくなる。と言った結果でした。
このことから、特に学年の低い子どもは、言葉の世界で抽象的に思考するだけでは"わからない"状態になりにくいので、実際に現実世界で手をうごかしてちゃんと"わからない"状態にするということも必要だと考えられます。
才能を褒めることで効力感を失う
心理学者キャロル・ドゥエックの「マインドセット「やればできる! 」の研究 」という有名な書籍で、広く知られるようになった「Fixed-mindest(固定的知能観)」と「Growth-mindset(成長的知能観)」というコンセプト。前者は、自分の知能は生まれもった「才能」によって決まっているという考え方で、後者は、自分の知能は努力しだいで良くなるという考え方。知能に対する2つの異なる信念です。
当然、後者の知能観が、今回の文脈で言う「学習についての効力感が高い状態」にあたるのですが、ほめ方によってどちらの知能勘をもちやすいかということに影響を与えるという研究がその本で紹介されています。これも有名なのでかなり省略しますが、要するに、良い結果が出た時に、「あなたは賢いのね」と才能を褒めるとFixed-mindsetになりやすいので、「がんばったね!」とプロセスを褒めるとGrowth-mindsetになりやすいというものです。
これに関連して、組織心理学者のアダム・グラントは、「名詞」を使って褒めるのが良い。とも言っています。おそらく、これは効力感を持ちやすい、自己アイデンティティの形成を助けるという事だと思います。
例えば、単に「がんばったね!」と褒めるよりも、「がんばり屋だね!」と褒める。失敗した時も「次はがんばって!」と励ますより、「がんばり屋の本領の見せどころだね」と励ます。といったことです。
他人と比較しなくても良い学習環境を作る(自分との比較を意識できるようにする)、ちゃんと"わからなく"なるように流暢性の罠を避けたり現実世界で手を動かしてわからない状態をかみしめてもらう。才能ではなく努力を誉めるあるいは、努力家というアイデンティティの形成を助ける。このような学びの環境をつくることができれば、子どもがもともと持っていた学びについての効力感を損なうことなく、学ぶことを楽しいと信じられるようになりやすいのだと思います。
次回は、学ぶことを楽しくするための3つ目の要素である、"自己決定"について考えてみたいと思います。