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足立康史はなぜ国民民主からのスカウトを蹴ったのか?

こんにちは、並立道です。

今月、とある人物が政治家としての死を迎えました。
その名は「足立康史」私が最も敬愛する政治家の一人です。

人間「足立康史」

様々な経緯もあって、足立氏は四期十二年を議員生活に幕を下ろしました。
ではなぜ足立氏は引退の道を選んだのか、その理由は先日放送されたリハックにて明かされています。その点は各々の目で確かめて頂ければと思います。

さて、それでは今回のテーマは何かと言えば、なぜ足立氏は国民民主党を次の選択肢として選ばなかったのか、ということです。
動画内でも、引退表明後に国民民主党から足立氏へのスカウトがあったうえで、それを蹴ったことが明かされており、なぜ足立さんが次の道として国民民主を選ばなかったのか、不思議に思う方も多いでしょう。

今回は私なりに、足立さんのその振る舞いの理由を考えていきたいと思います。

政策通にして、国民民主の政策立案能力を高く評価してきた

足立氏は言わずと知れた、国民民主の政策を高く評価する人物の一人です。
他の誰よりも玉木雄一郎という政治家の政策立案能力を評価し、リスペクトしてきた人物です。

つまり、足立氏と国民民主の政策への真摯な姿勢には共通する面も多く、足立氏と国民民主には一定の一致が存在したと考えられます。
よって、足立氏が国民民主党を選ばなかった理由は、国民民主党の政策それ自体に存在しなかったことは明白でしょう。

政策観が一致しているのに国民民主党を選ばないのはおかしいと思う方もいるかもしれないですが、誰よりも国民民主党の政策を高く評価した足立氏が、その点を踏まえてもなお国民民主党を選ばなかった以上は、個別具体的な政策の外に原因を求める他ありません。

「維新スピリッツ」を曲げなかった足立氏

維新スピリッツの体現者「足立康史」

足立氏は常に、維新スピリッツを尊重してきました。
維新党内でさえ、足立氏の維新スピリッツに及ぶ人物は存在しないと断言できます。
足立氏は他の誰よりも維新スピリッツを体現してきました。

ではそもそも、維新スピリッツとは何か。

これはあくまでも私なりの解釈となりますが、維新スピリッツとは、私(わたくし)の利益を鑑みずに、公(おおやけ)の利益に尽くす精神性のことです。
身を切る改革を始めとしたフレーズにしても、この維新スピリッツに基づいたものだと私は理解しています。

会派入り等の条件を持ち出した国民民主党

動画内でも明かされていますが、国民民主党から足立氏へのスカウトの際には伏線が存在しました。
まだ足立氏への刺客が擁立されていない状況、足立氏が無所属での選挙をどうにか戦い抜こうと考えていた頃です。

足立氏は自らの理念を体現するために、あらゆるルートで自身への支援を増やす道を模索していました。
政党の支援がない選挙戦となる以上、一票でも増やすためにあらゆる手段を考慮に入れるのは当然のことです。

その一環として国民民主党にも、陰ながらの支援をお願いしていたことが動画にて明かされています。
しかし足立氏が言うには、仮にそれで当選した場合には国民民主党の会派に入ることなど、条件を持ち出されたことによって、足立氏への支援の話は無くなったとのことでした。

国民民主党に問われていた「身を切る覚悟」

もちろん、玉木さんは党の代表をしている以上、党として足立氏への応援を呼び掛けるのであれば、ある程度の成果を求められる立場にあるでしょう。
特に無条件で足立氏への支援を呼びかけるのでは、党内に対して説明が付かなかった面もあるのでしょう。
しかしそれは私に言わせれば、身を切る覚悟の欠如です。

足立氏の政策立案能力、党員民主主義論、官僚としての行政経験などは、党派を越えた公(おおやけ)の為に必要だったのであって、それは一党派の利益と天秤にかけられるようなものではありませんでした。
仮に国民民主党にとって不利益に繋がったとしても、足立康史という政治家がありのままの姿で命脈を保つことに意味があった。

しかし国民民主党は一党派の利益を優先し、あくまでも条件を持ち出してしまった。
これこそが国民民主党が逃れ得ない「しがらみ」なのであり、それはまさに足立氏がその打破を目指してきた対象でした。

足立氏が行ったのは引退表明ではなく、国民民主党への入党の表明だった可能性

足立氏からの申し出の際、玉木代表が党内からの顰蹙などを覚悟して、あくまでも無条件で足立氏への支援に徹していたならば、果たしてどうだったでしょうか。

結果として、維新からの刺客によって、足立氏が窮地に立たされることになった未来は変わらなかったと思いますが、その際は国民民主党からあえて呼び掛けずとも、むしろ足立氏の側から国民民主党の入党を打診する可能性すらあったのではないでしょうか。

仮に無条件での無所属・足立康史への支援が実現しなかったとしても、国民民主としては足立氏の大事にしてきた身を切る覚悟を示していたことになるからです。
これは、足立氏が変節していないという一つの理由になり得ますし、これまでの支援者への説明材料ともなり得ます。

国民民主党が真に身を切る覚悟で、足立氏からの申し出があった際に目先の党派の利益を優先しなければ、異なる未来もあったのではないでしょうか?
もちろん、それだけでは条件として足りません。

「党員民主主義論」を曲げなかった足立康史

自民でもない民主でもない、新たな国民政党

足立氏はかねてより党員民主主義論を大事にしてきました。
足立氏の政治の原点は、自民党でも(立憲)民主党でもない、新たな国民政党の構築にありました。

その新たな国民政党を構築する要件としては、ただ単に質の高い政策論があればよいというものではありません。
新たな国民政党に相応しい党員民主主義論、すなわち党内ガバナンス論を兼ね備えていなければならないわけです。

党内ガバナンス観の不一致で維新執行部と対峙してきた足立氏

足立氏が離党に至った背景には、かつて維新で行われた代表選挙の問題や、今年の東京15区補選における機関紙問題など、足立氏の淀みない党内ガバナンス論と執行部の対立構造が存在しました。

足立氏は単に維新との政策の不一致で引退に至ったのではなく、組織観、ガバナンス観の不一致が大きな要素として存在しており、これもまた足立氏としてはどうしても曲げられない部分でした。

新たな党内ガバナンス論を示さない国民民主党

国民民主党の政策立案能力は実に見事なものです。しかし国民民主党は、党の統治については積極的な言及を行いません。
国民政党として必要な要件は何か、自民とも立憲とも異なる新たな政党ガバナンスとは何か、それを積極的は示していません。

国民民主党は政策面においては、紛れもなく政権担当能力を兼ね備えているでしょう。
しかしそれは狭義での政権担当能力であって、広義の政権担当能力とは単に政策立案能力だけではなく、党の統治という前提が欠かせないのです。

淀みの無い政党ガバナンス論を唱え続けて来た足立氏とすれば、その点について積極的な言及を行わず、自民とも立憲とも異なる新たな国民政党としてのビジョンを示さない国民民主党に与するのでは、自身の政治信条を曲げることに繋がるのです。

これもまた足立氏とすれば変節なのであって、足立氏が国民民主党を選ばなかった振る舞いはごくごく自然だったと言えるでしょう。

主義主張を曲げなかった足立康史

その他にも、足立氏が国民民主党を選ばなかった背景には様々な要因があると思いますが、大きく要約すれば、国民民主党が維新スピリッツ的な精神性と党員民主主義論を兼ね備えていなかったという二点が、主たる要因だと考えます。

私は今となっては立憲支持者をしていますが、かつては国民民主党の支持者でした。
私が国民民主党の支持を辞めた理由は、足立氏が大事にしてきた二つの概念が国民民主党には欠如していると考えたからでありました。

仮に国民民主党がこの二つの概念を兼ね備える政党であったならば、私と国民民主党、そして足立康史議員が共に歩んでゆく未来もあったのではないかと、想いを馳せる次第であります。

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