雑感 ゴッホの絵にトマト缶の中身をかけることの意味
何が起きたのかについてはもうみなさんご存知かと思います。
一応リンクだけつけときますか?
これが主催団体というかまあ、やってるひとたちの言い分です
特にアートを専門に狙っているわけではなく、抗議活動の内容は多彩。ただ、ここ数ヶ月ほどは美術館でアートの額縁に物理攻撃をしかけるというのが目立つ感じ?
こっちにその理由が説明されてました。
英語のまま引用です(アーティストとして海外展開するなら英語は必須です。読んでください)。
作品そのものは傷つけないように一応は気を使いつつ、このままだと人類が滅ぶんでせっかくのアートを作ることも楽しむことも出来なくなるやろがい、とまあそんなとこですね。
後段ではこんなことも言ってます
道路封鎖はニュースになりにくいのでアートを狙った。
アートそのものか、アートが存在できる前提である惑星環境か、どっちについてより心配すべきかという、困難な問いについて考えてもらいたい。そういう主張ですね。
面白いのはこのちょっと後ね。
アートギャラリーというのは我々のものの見方を揺さぶる場所でもあるんじゃないですか、とはっきり書いている。
案外きちんとした論理構成でやってるなという印象。
似たようなことは以前に渋谷駅でチンポムがやりましたけども(岡本太郎の「明日の神話」にイタズラした)、あれとこれの違いは何ですかというときに、とりあえずチンポムは現代アーティストとしての経歴があるので、作品として成立する(もともと原子力関連の作品は多かったということもある)。こいつらは現代アーティストじゃないじゃないか、ダメだよ。
そういう見方ももちろん出来ます。というか、それが普通の解釈ですね。
では私はどう見るか。
私は視点がちょっと変わっていて、ベースが社会学ですので、美学系や批評系の人のように怒ったりはしてません。分野というよりキャラの問題かもしれないですけどね。それよりは、何故こんなことが始まったのかを考えたい。
いくつかのポイントがあります。
まず、活動団体側は文章を読む限りではかなり計画的に、つまり作品本体にはダメージが入らないような方法で仕掛けているということ。
そして、アートというものが既存の、主流派の価値観を揺さぶるものとしても存在しているということも一応、この団体は理解しています。
そうなると、まあ例えばダミアン・ハーストがNFT化した絵の実物を公開焼却したとか、マウリツィオ・カテランのダクトテープバナナをデヴィッド・ダトゥナが食ったとかの、正直あんたら悪ふざけ成分皆無じゃないよな? という現代アートの諸実践との違いが微妙になってくる。
あまり指摘されていないようですが、この連中は額縁とか台座に対する攻撃が基本で、それはたぶんこのフレーズ
をパフォーマンス化しているんだと思います。
まあ、かなりスレスレとは思うんですが、私はこの活動はアリかもしれないなと感じています。
少なくとも「現代アーティストが仕掛けたならば許容される」程度にはロジックの組み立てが出来ているし、プランも意外に慎重に考えられているので。
あ、もちろん日本語界隈で素人が自慢げに振り回す「アート無罪」とかいうフレーズは関係無いというかどうでもいいです。法律に反していれば有罪。それはアートは関係無く裁判所が決めることなんで。
そういう話とは別に、アートというものが社会の主流の価値観や仕組みに対する明確な異議申し立ての領域としても機能しはじめた20世紀半ば以降のシステムが、何故か19世紀の(そういうこととはあまり関係が無かった)ゴッホ、あるいはもっと前のラファエロやボッティチェリやギリシア彫刻なんかに遡って使われているのが、「そう来たか!」と思うのでした。
現代アートのシステムが近代、近世あるいは古代の美術作品の受容に影響を(部分的にであれ)及ぼしているということでしょうか。
また、実際に連中が指摘するように、気候変動による災害で何百万人が家を失っているような話よりも、たかが油絵の1枚のカバーにトマト缶の中身がかかった話の方が遥かに騒ぎになっているということになっているわけで、これはアートと政治の関係性の問題として、ちょっと真面目に考えて良いことだとも思いますね。
たとえばロシア軍がウクライナでどれだけ野蛮なことをやらかそうがそんなの知った事かという顔でロシアのバレエに耽溺する人というのは一定数いるわけです。
これは古典芸術がもともと階級社会と収奪をベースとして成り立っていたことの一つの帰結でもあり、連中が狙った作品群のほとんどはそうした貴族社会の中で貴族向けに作られたものであったことは事実。ラファエロとかね。
ゴッホは違うだろうあいつは貧乏だったじゃないかというのは、たしかにゴッホのリアタイ勢はそうですよ。でも現在では超金持ちたちの投資案件なんですよねゴッホ作品は。間違いなくルネサンスやバロック時代の貴族よりも大規模に収奪している人たちの愛玩物になっている。
そういうところまで考えると、ゴッホにトマト缶をかけた子たちはイギリスの法律で裁いてもらうとしても、21世紀のアートに関わろうという者であれば、多少なりとも気候変動の問題に真面目に(エコウォッシュではなく)取り組むことも大事なんじゃないかな。
2:ピックアップアーティスト
File7 サルマン・トール Salman Toor
1983年 ラホール(パキスタン)生まれ NY在住
学位 MFA (プラット・インスティテュート)、BFA(オハイオ・ウェスレヤン大学)
活動期間 2008-
メディア 油絵
所属ギャラリー Luhring Augustine
個展開催回数 12
グループ展参加回数 13
美術館での展示歴 1
受賞・奨学金等 不明
CV
CVは見づらいのでこちらに転記しときますね。
また正体不明っぽい人のご紹介です。
パキスタン出身でNY在住。MFAは名門プラット・インスティテュートです。そこに在学中に大学の関連施設で展示会デビュー。しかし今までご紹介してきたアーティストとは違って、そこからトラクションがかかり始めるまでかーなり時間がかかっています。30代が終わる頃にようやく。
MFAを取ったのが2009年ですが、そっから10年くらいはなかなか上に行けていない。
何故それがわかるかというと、