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4月、鼻づまり

4月になりました。

2024年4月。こないだ元号が変わったばかりかと思ったら、令和は既に6年目に突入している訳であります。驚いたよ。

札幌もなんだか春の感じはしてきており、路肩にうず高く積まれた雪の壁もだいぶ溶けてまいりました。

凝結した氷の塊に足元のみならず視界まで遮られると、なんだか自分を含めた世界の全てが凍てついているように思われて憂鬱になってしまうので、目の前の雪の壁が溶けると共に冬に蓄えた憂鬱も溶け去る感じのある春の到来は嬉しいもんです。

雪が解けること自体は嬉しいんですけど、この時期の路肩はとにかく汚い。

雪から解け出るゴミの数々。タバコの吸い殻、なんかの包装、マスクだとか空き缶だとか。

雪が覆い隠していた悪徳が春になると白日の下にさらされるわけで、それを見る度にはっぴぃえんどの『しんしんしん』を思い出したりもする訳です。

この描写を詩に書けるってことは松本隆は雪国の育ちかしら…と思って調べたらめちゃめちゃ東京ど真ん中生まれど真ん中育ちハイソな奴は大体友達でなんかムカついた記憶があります。名手は田舎もんの郷愁描写まで巧みに使いこなしやがる。

雪が積もっていると、なんか別にゴミ捨てちゃっても良い気持ちになるんですかね。見えなくなるし。埋めちゃえば。

ゴミを捨てるという行為の悪質性は変わらないけど、人目につかないという要素が良心の呵責を緩めるのですかね。

道徳的な善悪が人間の行動原理を絶対的に左右するわけではない、という事ですかね。


閑話休題


4月なので新年度の新鮮な風を感じるタイミングも多かろう、という意識が自分の中にあるにはあるんですが、今の職場になってから僕が働く事務所にニューカマーが在籍となることがまだ無く、なんなら僕が今だにニューカマー面をしている状態で、ここ何年か新年度もヌルっと始まっている。

毎月の締めやら、決算やらの節目だけが業務的に意識されるものの、年度が変わっても同じ様な業務がヌルヌル続くのである。

ヌルヌルついでに3月末になんだか風邪をひいてしまい鼻孔の奥に溜まるヌルヌルが僕の嗅覚を奪っており、春めいた風の匂いも感じられていない始末である。

新型コロナウイルスが猛威を振るった際、嗅覚、味覚が失われるという情報だけが大いなる症状かのようにやたら喧伝されていたけれど、従来の風邪でも鼻詰まったら味覚とか鈍らない?と思っていた僕もついにコロナってしまったか?と思い検査をするも陰性。ついでにインフルも陰性。ただの風邪である。

パンデミック以降はこの調子で体調不良の度に市販のキットで検査なんかをして

コロナ 出社停止 いつまで

などとアンド検索をするのが通例になってしまっている。

4月から会社員となるニューカーマー達にとってはそんな事は当たり前のことで、アンド検索に一抹の時代の変容を感じている僕の方に違和感を持つかもしれない。

世の中はどんどん変わっていく。

鼻づまりの凡夫を置いて、季節は春に変わろうとしている。

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