もしかしたら私は、深キョンを好きになっていなかったかもしれない。
幼いころに心を動かされたものが、大人になってもなんだか気になってしまうという経験はないだろうか?
この前、中学生の姪っ子と話していたら「深キョンの可愛さが全然わからない」と言われた。
それまでは「〇〇がかっこいい!」「まじ?全然わかんない!」「〇〇は?」「ちょーーーー可愛い!」なんて、年の差も忘れて芸能人の好みを言い合ってはしゃいでいたんだけど。
彼女が深キョンを出した時、私は否定も肯定も出来ず、歯切れも悪く流してしまった。
最初に言うと、私は深キョンが大好きなのだ。超かわいい。
でも、姪っ子が「深キョンの可愛さがわからない」と言ったことに対しては「だよね~」と共感していたのだ。好きなのに、だ。
特に怖いもの知らずの最強10代にすれば、コンサバはおろかドピンクもフリフリも着こなしてしまう母親世代の存在は、なんとも得体のしれない生き物に映っているかもしれない。
というか深キョン41歳だぜ?どんなバグだよ。
まあどんな芸能人も好みは分かれるだろうし、取り立てて深キョンが特別分かれれやすいわけでもないと思う。
その人を好きな人がいる分、苦手な人は絶対いるだろうな、くらいはさすがに思える。
ただ、私は深キョンが好きだ。可愛い。たまらない。
でも好きになった理由は、単純な見た目の美しさとはちょっと違うところにある。
頑張れ、深キョン!!
小学生の頃、一時期、Myojo(明星)という雑誌を買っていたことがある。
いまもあるご長寿アイドル雑誌だけど、その頃は、モー娘。とか某ジュニアの黄金期(私の中で)だったので、買っていたんだろうね。
(ちなみにその頃はハセジュンが好きだった)
そんで、たぶんMyojoで(ここにきて違う雑誌だったらまことに申し訳ないんだけど)、アイドルを取り上げた漫画が載っていてね。
モー娘。のメンバー裏話とかね。今でも結構内容を覚えている。
昔って結構雑誌に漫画ページあったよね。
そんで、ある号の主人公が、深キョンだった。
アラサーより上ならご存じだと思うけど、昔の深キョンって結構キツイ顔してて、ふんわり感とか皆無で、なんならヤンキー寄りというか、まあ少なくともほんわか可愛い系ではなかった。
全力で加護ちゃんを推していた私には、深キョンはまったく魅力的に見えなくて、テレビに出ていても全然しゃべらないし愛想ないし、なんだろうこの人って思うレベルだったんだよ。辛辣だね。
とはいえ少ないお小遣いで買ったし、読まないのはもったいないと思って漫画はしっかり読んだ。
そしたら、『深キョンは超人見知りで、スタッフや共演者ともいつも緊張してうまくしゃべれなくて、撮影でも笑顔が硬くなってしまって、毎回お仕事が辛くて落ち込んでたけど、少しずつ楽しさを見つけ始めて…』みたいな内容だった。気がする。(え?)
あくまで漫画だしね、深キョンに限らずこういう漫画のどこまでがリアルかもわからないし、なんなら事務所のイメージ戦略的に、超絶フィクションだったかもしれない。
でも、当時のピュアな私は、それを読んで「それって超辛いじゃん、しんどいじゃん。人見知りであろうと人前でお仕事するのか。辛いのに笑わなきゃいけないのか。芸能界って大変なんだな。深キョン、大変だな。」って思ったんだよね。
言葉にすれば浅いけど、私には理解できない複雑なものがこの世にはあるんだなって漠然と感じた。
そして私は、この時、心を動かされたんだと思う。
で、そこからテレビに深キョンが映るたび「おぉ~!今日も緊張してるな。頑張れ~!」って目で追うようになっていた。
大好きと公言していた浜崎あゆみに会えた時は、いつもより笑顔で嬉しそうにおしゃべりしている深キョンを見て、私も「え~よかったね深キョン。めっちゃ喋ってるじゃん。嬉しいんだね~!」って思ったし。
私もあゆが大好きなのに、その時はどちらかというと深キョンを見ていた。
やがて下妻物語でロリータの道を切り開き、甘めなイメージがつくようになり、深キョンはどんどん独自のキャラクターと魅力を確立しながら40代になった。
それでもいまだに私の中には、人見知りでうまく話せない不器用なあの日の深キョン像がある。
だからメディアでキラキラと活躍している姿を見かけると、母のような、いや、昔からよく知る近所のおばさんみたいな気持ちで嬉しくなるのだ。私のがゴリゴリ年下なのにね。
正直、1番好きな人、に名前があがることはない。でも好きだ。
しなやかで柔らかく、フェミニンな雰囲気をまとっているのに意志の強そうな瞳や、遠慮がちだけど昔より朗らかな笑顔も、セクシーなのに女の子という雰囲気があるのも魅力的で、すごく美しい。益々美しい。
心を動かしたものは、ずっと残る
これだけ語っても、もしあの日、あの漫画を読んでいなかったら私はここまで深キョンを気になっていなかったと思う。
それだけ、いつどこで何が琴線に触れるかはわからない。
だからいろんなものに触れてみるのは面白いし、深キョンに限らず、一度でも心を動かしたものは熱は冷めても穏やかにずっと好きでいる気がする。
あの頃のように盛り上がらなくてもメディアで加護ちゃんやドンピシャ世代のモー娘。メンバーを見かければ「頑張っているなあ」と思うし、ハセジュンを見ても「おお、出ている!」と思う。
好きの熱量は変わっても、消えることってなかなかない。
芸能人に限らず、歌も、映画も、本も、場所も。
だから、好きに触れるたび、積み重なるように増えていく気がする。
それってすごく幸せだ。
なんでも好きになる必要はないし、嫌いや苦手を無理に克服しなくてもいい。
自分の心のなかで、丁寧に仕分けていけばいい。
そして、たまに素敵なものがビュンっと心に飛び込んでくる。
その時は、いつでも両手を広げて歓迎したい。