空を見なくなった人の暮らし
1日中の土砂降り。雷の音も幾度となく響いた。しまいには地震で家が小さく揺れた。
出かける時は本当に苛立つほど不快に感じる雨も、家の中にいる時なら結構好きだなと思う人は少なくないはず。
ただでさえ湿度の高いこの時期に、洗濯物が外に干せずに困ることはあるだろうけど、それも今では乾燥機が普及し、生乾き臭を防ぐ洗剤や方法が発展したことで、昔ほど憂鬱なことではなくなった気がする。
むしろ様々な理由から、外干しする人の方が少なくなってきている現代において、洗濯における雨の弊害はほとんどなくなってきているかもしれない。
川や井戸で手洗いして、天日干ししていた時代は、洗濯に限らず天気に大きく左右されることがずっとずっと多かっただろうな。
それを思えば外出だって、歩きが基本だった頃を思えば、車や電車があるだけでもとんでもなくありがたい話だよなあ。
建物から車、駅から目的地という移動はさすがに傘をさしても足元が濡れたりするけれど、それすら不快で苛立つなんて、なんて余裕のない、小さい器なのかと自分に呆れてしまった。
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昔は、悪天候を理由にできないことが多くて不便だったかもしれないけど、逆に今は、悪天候を理由にできないことによる不便があるのかもしれない。
ニュースでは「不要不急の外出は控えて」と訴えられていたって、台風だろうと大雪だろうと、この国で公共交通機関が運休になることなんて滅多にない。
そもそも外出を控えるべき悪天候を、天気予報によりある程度事前に知ることができるのにも関わらず、それでも私たちは『いつも通り』を貫こうとする。
人によっては自分の意志とは関係なく強いられていることもあるだろう。
そして、安全のため公共交通機関がやむなく遅延や運休を選択すると、駅には人が溢れかえり、どうしようもない困惑や怒りの矛先が駅員さんのような、責められる必要のない人に向けられてしまうことさえある。
ただでさえ空の機嫌が悪いのに。
私たちは、まるで晴れの日と同じように日々を過ごし、うまくいかないことを誰かのせいにしながら生きている。
外に出れば、空を見れば、今日がどんな日になるか、どう過ごすべきか本当はわかるはずなのに、私たちはカレンダーだけに忠実に生きるようになっていた。
それが悪いとは言わない。
私たちはその分、見合うだけの便利さを手に入れてきた。
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でも、せめて、天気が悪くてうまくいかないことを誰かのせいにするのだけはやめることにしない?
コロナを経て、以前より「熱がある」「体調が悪い」という理由で休むのに抵抗がなくなった感が世の中にある。
前は、芸能人でも「熱が40℃あってもステージに立ってました」とか「骨が折れていたけれど隠してやり通しました」というのが美談に扱われていたけど、有名人だろうが一般人だろうが、人間「ここぞ!!!」という時以外は、そこまでしなくていいよね。
人生には、ムリが必要な時も確かにあるけど、それが当たり前になるのはやっぱりよろしくはないでしょう。
「ここぞ!!!」の時に力が出せなくなっちゃうよ。
だから、病気や体調不良が、仕方ないよね、お大事にねって思えるように、天候不良も思えたらいいね。
ただでさえ天気が悪いと、気持ちも沈んじゃうし、うまくいかないことが増えるけど、そんな中でもやるべきことのために外で出会った人たちには「あら、あなたもこんな天気に大変ですね。お互いやれる範囲でやってみましょうね」と心の中で思いたい。
だって、雨の中、目的のために外に出てきているんだもの。
みんなその時点で結構頑張っているじゃんね。
駅員さんも、タクシーの運転手さんも、電車でぶつかってしまった人も、ひどい雨だって、天気が悪いって、十分わかったうえで出てきているのだから。
それでもどうしても憂鬱な時は、誰かにぶつけるのではなく、自分を甘やかす時間を作ってあげよう。
せっかく天気に左右されにくい時代に生きているんだから、雨の日でも晴れの日でも天気に左右されない好きなことを1つでも多く見つけた方がずっと楽しい。