頑張っていれば、どこかで誰かが見ていてくれる。
私がまだ会社員だった頃、仕事で悩んでいた頃に、母親から言われた言葉。
父親は私から見ても、超がつくほど、真面目人間で、手を抜くことができない不器用な人。
私もその血をしっかり引いており、社会に出てからも、器用に渡り歩くことができず、ブラック企業に入社してしまったり、会社が倒産してしまったり・・。
それでも、「 頑張っていれば、どこかで誰かが見ていてくれる。」この言葉はいつしか私の支えになっていきました。
その後、会社員を辞めて、個人事業主となり、法人化をし、働く環境が変わってきたなかで、この言葉には、もう一つのたいせつな意味が含まれているのではないかと思うように。
それは、頑張っていたら、どこかで誰かが見てくれていて、その人を励ましたり、もしくは希望になることができる、という考え。
というのも、起業してこれまでの約9年間、ひたすらにがむしゃらに頑張り続けていたら、私が思いもよらないところから、感謝されたり、お礼を言われたりすることがたくさんあったんです。
障がい者のお子さんを持つお母さんからのメッセージ
過去に、私はブログで、
口唇口外裂傷という障害を持って産まれてきたけれど、それで親を恨んだり憎んだりしたことは一度もなく、
それどころか、この障害のおかげで、たくさんの学びある人生が過ごせたことで、むしろ感謝しているぐらい
ということを、誰に届けるわけでもなく、自分のこととして書きました。
すると、偶然、このブログを読んだというお母さんから、
というメールをちょうだい。そのお母さんとは何の接点もなく、私とは縁もゆかりもない方。
どういう経緯で私のブログを読まれたのかは分かりませんが、私の経験によって、その方の気持ちが少しでも楽になったのであればよかった、と嬉しく思いました。
鬱が原因で退職した自分にも。
私は過去、鬱が原因で会社を退職した経験があり、自分は弱い人間なんだ、鬱で退職した人間に再就職先はあるのか、このまま社会に適応できなくなってしまうのではないか・・
と毎日、自分を責めながら、不安を感じながら生活していました。
おかげさまで、今では会社員だった頃よりも元気に楽しく過ごせており、それどころか、あの経験をしたから、いまの自分があるんだな、と思えるように。
同じく、こちらも誰に届ける訳でもなく、ブログにアップしたところ、同じように鬱が原因で退職していた友人から、励みになった、とメールをいただきました。
頑張る姿勢を発信してみたら
他にも、ヘルニアが原因で退職したり、7回転職したり、30歳をすぎて時給800円で働いていたり、振り返ってみると、我ながら、よくあそこで踏ん張って、乗り越えてきたな〜と思うシーンがたくさんあります。
昔は、こうした頑張ってきたシーンを見て欲しい、注目して欲しいからという理由ではなく、ただ誰に届けるわけでもなく発信してきましたが、
どこかで、誰かが見てくれているかもしれない。自分の頑張りがひょっとしたら、どこか誰かのお役に立つことができていたり、また、励みになっているかもしれない。
そう思うようになっきたので、こうしてせっせとブログを書くようになりました。
おしまい。