結局のところ、現実的で切実な。

あれこれと考えてみたところで、本屋以外の仕事ができるかといえば、そんなはずもなく。

資格も無ければ金も無い。新しいことを始める気概も無い。仕事のほうから転がり込んで来てくれれば報酬に応じて頑張るけど、そんな上手い話があるはずもない。

何もかも全てを解決してくれるであろう宝くじも、残念ながら当たらない。これさえ叶えば、もう何にも考える必要も無いんだけど、本当に残念ながら当たらない。そもそも買うために生活費を削るというのも本末転倒感があっていかがなものかと。買うけど。

お金。

結局のところはそれに尽きるわけで。それさえあれば僕の中のモヤモヤはほとんど晴れる。仕事はそのための手段だ。生きるために生活のほとんどを手段のために消費するという矛盾については考えても仕方がない。自分の生きる世界はそういう仕組みでできているので、突出した能力の無い凡人は郷に従う他はない。

仕事。

仕事は楽しくなければいけなかったり、憂鬱でなければ仕事でなかったり、外側には価値観はいろいろで、好きなものを採って生きていけばいいと思う。僕の考え方は仕事そのものはフラットで、どんなものでも楽しめる人とそうでない人がいる、というもの。勉強だってスポーツだって人生だって同じ。

で、僕はその楽しめない方の人らしい。働くのは好きじゃない。だってめんどくさいし。家から出ないで生きていけるなら、それに越したことは無い。

そんなこと言ったって、独りで家にいたってつまらないし、人と話さない生活なんて飽きるよ、とか反論してくる人がいる。だったら5年くらいその生活をさせて臨床実験をさせてくださいとお願いしたい。多分大丈夫だから。

仕事を楽しめなくて、人生に目標もなければ働くことに前向きになれない人間は、家でくすぶることに不満を持たない。生活に不安が無ければ、特に問題は無い。つまらないかも知れないけど、つまらなくて何がいけないのか分からない。別に喜怒哀楽がなくても困らない。

そんなの生きてるって言わないという意見の人とは、単なる見解の相違があるだけで、生きてれば生きてることになる。

でもそんな風に両手の胸の前で組み合わせて夢見る乙女を気取ってみても、そんなことにはならなくて。妄想は現実はならない。願いは叶わない。それを引き寄せる力を持ってない。

結局。

働いてお金をもらって命をつなぐ必要がある。

だって死ぬのは怖いから。

じゃあ何をして働くか。どうせ働かなきゃならないんだとしたら、少しでもマシな環境で納得して働きたい。

仕事をするのは嫌という基本は踏まえたうえで、それ以上の負担を強いられたくない。働く以上は責任を全うすることに置いて前向きでありたいし、せっかくなら自分の中でだけでも甲斐のようなものを見出しておきたい。

贅沢で自分勝手なことなのだろう。高望みなのだろう。職を与えられただけで、明日も生きていられるだけで満足しろと言われれば一言の反論も無い。所詮は自活するゴミなので。

ならば視点を変えて、せめて迷惑をかけることなく社会に潜んでいるためにはどうしたらいいかを考える。貢献するなどと夢のようなことを言わないで、可もなく不可もなく、その場にいても害にならないようにするにはどうすればいいか。

僕は生きていたくて、周囲の人は僕に迷惑を被らなくてよくて。そういう折り合いをつけるためにはどうすればいいか。

いい年をして何を言っているんだという話だけど、ちょっと考えてみようと思う。

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