『君の隣に』本多孝好(講談社文庫)

文庫版の裏表紙に書かれたあらすじには、孤独な少女・翼という名前があるが、物語にはなかなか登場しない。あらすじに名前のあるもう1人、風俗店を経営する大学生・早瀬が自分のスカウトした同じ大学の女性、加納アヤメの初めての出勤に立ち合う場面から始まる。話は加納の1人称で進み、早瀬はあくまでも加納がほのかに想いを寄せる、優秀な人物として出て来るのみ。
『君の隣に』という優しいタイトルとは裏腹に、やや陰りの見える冒頭で、どう読み進めるべきか分からず、分からないまま短い1編が終わる。
そのラストシーンに、意外な形で翼は登場するが、その話自体も意外な結末を迎えるので、混乱したまま次の話に進むことになる。
形式としては章ごとに語り手の変わるオムニバス形式で、しばらく、早瀬と翼の物語がどこに向かうのか、そもそも始まっているのか、それもはっきりと見えてこない。
それでも、いや、だからこそ、1つ1つの話の中に潜ませてあるその息遣いや鼓動に耳をすませるようにして、彼らの姿を探すことができ、その物語の核心が翼の母親である渚という存在にあることが分かってくる。
その存在に、というよりは、その不在というべきか。渚は行方知れずになり、生死すら不明になってしまっていた。渚の消息をたどる。それこそが物語の目的だということが分かり、どういう結末になって行くのかを想像できる材料が少しずつ提供されていく。
やがて続々と変わる語り手に手を引かれながら読了し、連れて行かれた先はあまりにも意外な場所で、自分の生半可な想像など及びもつかないところだった。

物語の中心にあるのが風俗店という場所で、社会の暗部とも言える場所を巡る話で、結末に至るまでにはどう受け取るべきか難しい出来事や整理や理解のできない感情も描かれる。直接的な陰惨さや凄惨さというのとは少し違う、日常と表裏一体になっていておかしくない残酷さのような、手が届いてしまいそうだからこそ恐怖を感じてしまうものが多い。
しかもそういう手触りのものが数人の口からそれぞれに語られるものだから、気を抜くと心が迷子になって振り落とされそうになる。
そんな状態でも結末まで見届けなければと思えたのは、先述した物語の核心がしっかりとつなぎとめてくれたから。
そしてその期待感を遥か高く超える結末、真実を知ることができたことに大きな満足を感じられた。

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