ガロアは生前誰にも理解されなかったのか?
毎年5月31日はガロアの命日である。エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)は1811年10月25日生まれの1832年5月31日没。死因は前日の決闘で銃弾を腹に受けたことによる腹膜炎である。
リセの学生だった頃に数学に目覚め、代数方程式(我々が中学・高校で習う2次方程式や3次方程式のような、一つの未知数$${x}$$に関する$${n}$$次多項式$${=0}$$で表される方程式)の可解性に関する画期的な理論(ガロア理論)を発見。数学史上不朽の天才少年である。
ガロアが亡くなって、もう192年にもなろうとしている。それにもかかわらず、ガロアの生涯については数々の誤解が蔓延している。実際、ガロアの生涯については、すでに多くの研究者によって詳しく調べられているが、最近でも事実とは異なる古い通説がまことしやかに語られているのは、とても残念だ。(つい最近のネットニュースでも、かなりヒドいものが見受けられた。)
私は2010年に『ガロア 天才数学者の生涯』(初出は中公新書、現在は角川ソフィア文庫)
を著し、その中でこれら研究から得られた新しい事実関係を盛り込みながら、できるだけ既知の史実に忠実なガロア像とその生涯の復元を試みた。さらにこの本は2020年に文庫化されるのを機会に、初版のときにはまだ少々不明だった「ガロアの決闘の相手は誰か?」問題に対しても、さらに最新の研究を反映させてアップデートしている。
ガロアの決闘
ガロアの決闘については、大まかに以下の3つの問題がある。
これらすべての問題について、前掲書ではできるだけのことを論じている。③については、以前このnote記事でも書いた。
ここにも書いたように、この問題③については現在でも不明なことが多いが、ある程度(まだまだ広いが)の範囲を指定することはできる。
問題①については、
の諸説があるが、陰謀説については(すぐ後に見るように)ガロアの決闘の相手がペシュー・デルバンヴィルである以上は(上掲のWikipediaにもあるように)まずあり得ないと言ってよい。自殺説はリガデッリや木村俊一によって独立に唱えられたが、上の拙著で論じているように、ガロアの決闘が水曜日であったことから、かなり可能性は薄い(私個人としてはもはや信じていない)。民衆蜂起を起こすための自殺なら、当時の社会情勢を考えれば、水曜日ではなく週末に近い金曜日や土曜日を選んだはずだからだ。
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加藤文元の「数学する精神」
このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…
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