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宇宙人の数学は我々の数学と同じか?

有史以来、人類はまだ地球の外の生命体に遭遇したことはない(と私は思っている)。しかし、近い(かもしれない)将来には、我々人類が地球外生命体と接触する日も来るかもしれない。その生命体が人間と同様に「数学」(あるいはそれらしいもの)をもっていたとしたら、その数学は我々が現在もっている数学と同じだろうか?

数学だって、歴史の中で進化してきた。数学は自然科学や哲学や、その他のさまざまな文化と同じく、人類の歴史の中でさまざまに進化したり、停滞したり、ときには退歩したりを繰り返してきた。人類が21世紀の現在もっている数学も、その歴史的変化の真っ只中にある。だから、その変化の途中にある我々の数学が、同じように時間軸に沿って変わっていっている(であろう)宇宙人の数学とまったく瓜二つだということは、とてもありそうにない。

だから、そういう素朴な意味で「同じか否か」という意味ではなく、彼らの数学と我々の数学が、やり方・対象・数学的事実(定理)などにおいて多くの共通部分をもつか否か、ということを問題にすべきだ。

数学は地域や時代に依存しない普遍的な学問だから、宇宙のどこでもきっと同じだろう。だから、宇宙人だって人間と同じ数学を発展させる(させている)に違いない…そう思う人はきっと多いだろう。

数学者の中にもそう考える人は少なくない。神経生物学者のジャン=ピエール・シャンジューとの対話『考える物質』(浜名優美訳、産業図書、1999年)の冒頭で、著名な数学者アラン・コンヌは「数学は絶対的で、普遍的であり、したがってどんな文化的影響とも関係がない」と述べている。

どんな文化的影響からも独立ならば、文化や時代や担い手(人か宇宙人か)の違いに左右されないただひとつの数学●●●●●●●●があるばかりだ。そう信じる人にとっては、結論は明らかだ。「人類はまだ宇宙人と出会ったことがないから、今のところは、我々にとっての数学が、地球外のいかなる知性にとっても共通なのかどうか判断しようがない。しかし、いずれ宇宙人と交流するようになれば、明らかになるだろう。数学は宇宙の普遍であり、数学的な真理とはおよそ人間的な要素とは関係のない絶対的なものであり、人間を超えて宇宙的な普遍性を有しているのだということが…」

しかし、本当にそうだろうか?

そもそも、数学のすべてが宇宙の普遍か否かと尋ねるのは、問題提起としてあまりよくないかもしれない。一口に数学と言っても、数の計算を対象とするものもあれば、図形を対象とするものや、関数を対象とするものもある。数学はそれひとつが単体の学問だというよりは、さまざまな学問が重層的により集まった「複合学問」だと思った方がいい。となれば、その一部は宇宙人とも共有できるかもしれないが、彼らとは共有できない「人間ならでは」の数学もあり得るかもしれない。

だから、より適切な問いはこうだ:人類の数学は、どこまで宇宙人と共有可能だろうか?

数学の始まりの一つは、素朴な「数える」という行為にある。「数」は数学のもっとも原始的な概念だ。もちろん、マンモスが2頭いることと、2日が過ぎるという現象を、同じ「2」という概念に抽象化するというのは驚くべき知的能力である。

しかし、そういうことは人間しかできないというわけでもないだろう。ある程度の知的能力を備えた生命体は同じように考えるかもしれない。となれば、宇宙人だって人間と同じように「数える」だろうし、人間と同じような「数」の概念を発達させるだろう。足し算や掛け算だって同じようにするだろうし、倍数・約数の概念とか、素数の概念だって共有できそうだ。

というわけで、おそらく「素数」の概念くらいは、宇宙の知的生命体も、我々と同じものを獲得していそうである。

もう少し頑張って、素朴な数の理論くらいは、コンヌの言うように「絶対的で普遍的で、いかなる文化的影響からも独立」だと考えてもいいかもしれない。素因数分解の存在と一意性くらいは、彼らも知っているだろう。ということは、初等整数論のかなりの部分を、我々は彼らと共有できそうだ。我々は10進数による位取り記数法を使って数を表記しているが、位取り記数法やそれに基づいた筆算のアルゴリズムも大丈夫かもしれない。もっとも、彼らは10進数を使っているかどうかはわからない。この点は指の本数や一年の日数など、さまざま外的要因にも左右されるだろう。しかし、10より他の数を採用するとして、5進数や7進数などの「素数進数」を使うことはなさそうだ。身体的な問題だけでなく、数学的にも$${n}$$進数の$${n}$$は約数が多い方がよい。その方が、多くの整数の逆数を有限小数で処理できるからである。

…などなどと、想像は尽きない。しかし、それよりもう少し高級な数学になったらどうか。例えば、「無限」が関わってくるような定理や概念も、絶対的な普遍性を持っているだろうか。このあたりになると、ちょっと微妙な感じがしてくる。宇宙人にとっても$${1=0.99999\ldots}$$だろうか?この等式は実数論のモデルに依存する。我々が通常使っているモデルは「数直線モデル」という、極めて幾何学的なものだ。そんな概念的に複雑なところまで、数学は人類を超えて普遍的と言えるだろうか?

無限に関係する直接には体験できない観念の理解を共有するのは、人間同士でさえ楽なことではない。$${1=0.99999\ldots}$$であることを信じない人は多いだろう(もちろん、信じる●●●の意味は曖昧だ)。そもそも、無限に関する論理を突き詰めると、大抵の場合、我々の直観とは相容れない結果が出てくるものである。論理ロゴスと直観的現実は、一致しないのが常だ。ゼノンのパラドックスが、それを如実に物語っている。

もちろん、無限に関する素朴な考え方は(それがいかに直観的現実からかけ離れていようとも)それなりに自然な考え方だと言うこともできる。だからこそ、人間は無限を駆使して数学を整合的に構築することができた。ということは、無限に関する考え方も(その整合性の範囲に関する認識も含めて)宇宙人とある程度は共有できるのかもしれない。もちろん、できないかもしれない。

さらに微妙なのは空間概念だ。これは人間の感覚器官、特に視覚の構造に強く依存しているように思われる。だから、人間の作った空間概念は、宇宙人にはなかなかわかってもらえないかもしれない。例えば、トンボの複眼のような視覚器官をもつ知的生命体の空間概念は、我々人間の空間概念とはまったく異なったものになるだろう。

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このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…

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