大抵の概念は複合概念である
以前書いた「「$${0}$$と$${0}$$の最大公約数」とは?」
では、数学の定義に関する問題点として
定義が曖昧なので起こる問題点
定義が「相応しくない」ので起こる問題点
の二つがあると述べ、後者の例について述べた。ここでは前者について述べよう。
関数
「関数」という概念ほど、その定義が(微妙に)一定しないものはない。ネットで調べても、その定義は(少なくとも形の上では)さまざまだ。そのいくつかは許容範囲だと見なすこともできるが、端的に間違っているものも多い。さすがに教科書ともなると、そのバリエーションの幅は小さく、ある程度は一定していると言えなくもない。しかし、それでも表現や扱われる文脈の色合いや、強調の度合いなどに若干の差異があって、読みようによっては意味の幅や誤解が生じる可能性がある。
「関数」とは「写像」という概念の特別な場合だ。だから、写像の定義を適切に特殊化すれば関数の定義になる。これが一番確かな方法だろう。それに基づいて関数を定義するならば、次のようになる:
定義A. 実数の集合$${I\subset\mathbb{R}}$$上の(実数値)関数とは、$${I}$$に属する任意の実数$${a\in I}$$に対して実数$${f(a)}$$がただひとつ決まる規則$${f}$$のことである。
(★集合論による抽象的な定義:実数の集合$${I\subset\mathbb{R}}$$上の(実数値)関数とは、直積集合$${I\times\mathbb{R}}$$の部分集合$${f\subset I\times\mathbb{R}}$$で、次の条件を満たすもの:任意の$${a\in I}$$に対して、$${(a,b)\in f}$$を満たす$${b\in\mathbb{R}}$$がただひとつ存在する(このとき、$${b=f(a)}$$と書く)。)
(★★写像を定義するなら、定義域(=始域)と終域を指定する必要があるが、(実数値)関数は終域が実数全体$${\mathbb{R}}$$と決まっているので、そこは省略した。)
基本的には定義Aのような形で関数が定義されていれば、問題はないと思う。しかし、ここで「〜上の」という数学には独特の言い回しがきちんと理解されているかどうかが、私としては気になってしまう。「〜上の」という言い回しの中の「〜」もまた定義の中の重要なデータであるということだ。
だから、この点をちゃんとわかりやすく強調して「関数」という概念を定義するなら、その定義は次のようになるだろう。
定義B. 「関数」とは、次のデータからなる組概念$${(I,f)}$$である。
(a) $${I}$$は実数の集合(実数全体$${\mathbb{R}}$$の部分集合)。
(b) $${f}$$は関数関係、すなわち任意の$${a\in I}$$に対して実数$${f(a)}$$がただひとつ決まるという関係。
(ここで「関数関係」の意味は上の★の意味だが、慣れない人はそこまで厳密にならなくてもよい。)
つまり、関数とは定義域と呼ばれる実数の集合$${I}$$と、関数関係(と私が呼んでいるもの)$${f}$$からなる複合概念である。通常、関数は単に$${y=f(x)}$$と書かれ、独立変数$${x}$$の値がひとつ決まれば、従属変数$${y}$$の値がただひとつ決まるという関係だ、と説明されるが、少々うるさいことを言うと、これだけでは関数関係の説明ではあっても、関数の説明にはなっていない。関数にするには、独立変数$${x}$$が動く範囲である定義域$${I\subset\mathbb{R}}$$がデータとして与えられていなければならない。この部分が「〜上の」という枕詞の「〜」である。枕詞と言ったが、それは付録的なものでは決してなく、関数概念を形成する必要不可欠なデータのひとつなのだ。
些細なことと思われるかもしれない。しかし、実はそうではない。定義域が与えられて初めて「関数」という概念だ、ということは、簡単な例をいくつか考えてみればすぐにわかる。
例えば、$${y=x^2}$$という関数関係(まだ関数ではない)を考えてみよう。これに、次の二通りの定義域をつけて、二通りの関数に仕立ててみる。
(a) $${y=x^2}$$, $${x}$$は実数全体
(b) $${y=x^2}$$, $${x}$$は正の実数全体
(b)の関数は単調増加関数である。しかし、(a)はそうではない。単調関数であるか否かというのは、関数に関する重要な性質である。その重要な性質が、(a)と(b)では異なっている。それは(a)と(b)は互いに関数として異なっているからである。「同じ関数だが、定義域が違う」という意味ではない。さらに言えば、(b)は単調増加関数なので逆関数をもつ($${y=\sqrt{x}}$$, $${x}$$は正の実数全体)。しかし、(a)は逆関数をもたない。このくらい関数としての基礎的な性質が異なっていれば、(a)と(b)が「互いに相異なる」関数であることの説明としては十分すぎるだろう。
そもそも「単調関数は逆関数をもつ」という高校数学でも習う定理がちゃんと意味をもつためには、そこで言われている「関数」が、今述べたような「定義域+関数関係」という複合概念でなければならない。その点を曖昧にしても、多くの場合問題は起こらない。しかし、問題が起こった場合(高校数学の範囲でも、問題が起こることは十分にあり得る)、結局立ち返らなければならないのは「定義」である。関数の定義とはそもそも何だったのか?ということが明確になって、初めていろいろな問題を曖昧にしなくてもよくなる、ということのご利益は大きい。かえすがえすも(私が日頃から言っている通り)「数学で最も重要なのは「定義」である」。
また、定義域はしばしば省略されることが多いのも確かである。そして、そのような場合(良心的な書き手なら)「定義域が省略されている場合は、関数関係$${y=f(x)}$$が定義される最大の$${x}$$の変域を定義域とする」とか「自然に考えられる定義域」を考えるなどと補足される。しかし、これはあくまでも補足的で補助的なことであり、定義域とは関数関係から「自然に決まるもの」であるとか「通常は何を定義域とするか決まっている」などと考えられてしまったら、それは完全な誤解である。定義域とは、あくまでも関数という複合概念を形成するデータのひとつであり、それは与えられるものである。$${y=x^2}$$という関数関係には「実数全体」という定義域が決まっているわけではない。この場合は定義域として考える変域は、実数の集合であればなんでもよい。なんでもよいからこそ、ちゃんとデータとして与えなければならない。
多項式
「〜上の」というフレーズで与えられる「重要なデータ」の、もうひとつの例は「多項式」の概念の中にもある。
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加藤文元の「数学する精神」
このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…
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