空間とは何か(1)
(本稿は青土社刊『現代思想』2024年1月号特集「ビッグ・クエスチョン」に転載された(p.184〜192)ものです。)
「空間とは何か」とはあまりにも大きなテーマであるが、筆者は数学者の立場から数理科学的な視点で論じてみようと思う。数理科学的空間はもとより理念的なものではあるが、例えば一般相対論における時空概念にも見られるように、しばしばそれらが現実の空間のモデルになることもあり、一概にそのすべてが理念にとどまるとは断定できない。本稿ではひとまず、数理科学的な空間論への〈序説〉として、続編【注:本稿は筆者のnote有料マガジン「数学する精神」におけるシリーズ『空間とは何か』の初回記事として執筆されたものであり、続編は同マガジンで随時発表していく予定である。】における今後の議論の方向性を大雑把に定めることを目標としたい。
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ユークリッド『原論』における平行線の定義は、第1巻冒頭の最後の定義(定義23)において与えられている。
ここで「限りなく延長する(έκβαλλόμεναι είς άπειρον)」というフレーズは、すぐ後の第二公準と密接に結びついている。
ここで「直線において延長する(έπ΄ εύθείας έκβαλειν)」というのは直訳であり、通常では「直線に延長する」と訳されることが多い【注:ヒース([Heath, p.196])は公準2を To produce a finite straight line continuously in a straight line と英訳している。】。しかし、ここでの含意は、線分(有限直線)は理念的な無限直線の「内部で」(あるいは「沿って」)、いくらでも両端を長い線分に延長できる、という意味に近い。「連続的に(συνεχῶς)」には間断なく(constantly)、あるいは常に(always)といった含意もある。
すなわち、有限の長さをもつ「線分」に対して我々が普段「直線」と呼んでいる「無限に延長された直線」は、あくまでも理念的なものであり、ここでは「いくらでも長い有限線分」に延長することだけが可能とされるにとどまっている【注:この背景には、可能無限と実無限を巡るアリストテレスの主張もある([斎藤・三浦 p.185])。】。したがって、中立幾何学【注:公準1から公準4のみを仮定し、第五公準(平行線公理)を仮定しない幾何学。】では、平行線の作図は可能である【注:ユークリッド『原論』命題31「与えられた点を通り与えられた直線に平行線を引くこと」。これは第五公準が初めて使われる命題29よりも後の命題だが、中立幾何学の命題である。】が、与えられた2つの線分が平行であるか否かを作図だけでは決定できない。つまり、有限線分への延長だけで「平行である」ことを確定させることは不可能である。中立幾何学では、直線の平行性は「決定不可能」な問題なのだ。
したがって、ユークリッド幾何学のような定規とコンパスによる作図に基づいた幾何学を系統的な論証幾何学に仕立て上げるには、有限的な操作を超越したなんらかの構造が必要になる。第五公準(平行線公理)
はまさにそのような構造を平面幾何学に付与する公準である。それは中立幾何で作図可能な「特別な平行線【注:すなわち、同じ側の内角の和を二直角とするようなひとつの直線が、少なくともひとつ存在するという性質をもつ平行線。】」のみが平行線であると仮定することで、平行性を有限的な作図のレベルで決定可能にしてしまう公準だからだ。
ユークリッドの頃の論証幾何学の担い手たちに「空間そのもの」への意識がどのくらい(そして、どのように)あったのかはわからないにしても、彼らはこのような「有限性を超越する構造」を導入することで、ユークリッド幾何学における空間をひとつの具体的なものに確定させることができた。意識的にせよ無意識的にせよ、彼らは空間を定義していたのである。
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ユークリッド『原論』における幾何学には、平面や直線が点によって作られているという発想は(少なくとも明確には)ない。特に、「局所 vs 大域」という近現代的な空間構造の視点も、明示的には存在していない。これに対して、近代的な空間概念の嚆矢のひとつは、ライプニッツの空間概念の中に見出される。
ライプニッツにとって、空間は点とそれらの間の関係を規定する構造から決まる。ここで「点」とは、純粋に抽象的なものとして捉えられている。それは位置という情報だけをもち、他の点との相互関係によって秩序づけられている理念的対象である。ただし、ライプニッツにとっては、空間が点によって構成される何かであるというよりは、空間とはsituation(= situs 位置・状態・場所)の関係性(= order, relation 順序性)そのものだ、という考えに近いと思われる。
ライプニッツはどのような経緯で、このような空間の認識に至ったのだろうか。同時代の人々と同様に、ライプニッツの幾何学研究の基層にも、ユークリッド『原論』の幾何学の基礎付けというモティベーションがあった【注:例えば、[De Risi, pp.18ff]参照。】。幾何学の基礎を盤石なものとするためにライプニッツがとった戦略は、幾何学全体を記号の組み合わせによる抽象的構造物に再編することだった。特に幾何学的対象を、その構成法(作図法)に注目し、原始的な作図のステップ(を表す記号)の組み合わせとして捉えることを通じて、空間概念の論理的構成に導かれていった([稲岡 第2章])。
その際、ライプニッツもユークリッドとは異なった形ではあるが、ユークリッド幾何学が空間を確定するときと同等の問題を処理する必要があった。ユークリッドにおいて平行性の決定問題という形で現出した超越性への要請が、ライプニッツでは連続体の構成問題という形で現れる。いわば、ゼノンのパラドックスを調停することが、「位置の関係性」という超越的構造を導入する目的のひとつだった【注:ただし、ここで筆者の念頭にあるのは位相的な連続延長体の(拡散 diffusio と反復 repetitio による)構造ではなく、むしろリーマン幾何的な計量構造に近いものである。[De Risi, p.159注30]参照。】。ユークリッドが図形の大域的性質を通して構造を措定するのに対して、ライプニッツによる構造概念の出発点が局所的性質にあったことは、現代的な視点からも、空間構成の対照的なアプローチとして興味深い。
ライプニッツが空間概念の発見と、その構造研究そのものを、幾何学における第一義的な研究目的としていたとまでは言い切れない(微妙である)が、空間の直観的理解や作図を用いることなく、純粋に数学的に構成しようとしていたことは重要である([稲岡 ibid])。空間内の対象は作図による有限アルゴリズムで構成可能であっても、対象の性質や相互関係の多くは作図によっては決定できない。平行性や第五公準に関する幾何学的現象を抽象的にコード化する上で、空間そのものの(局所的な)性質に注目するという思考過程は、ライプニッツにとっては自然なものだったのだろう。
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代数関数とは、複素係数の2変数多項式$${F(x,y)}$$による関係式$${F(x,y)=0}$$によって、$${y}$$を$${x}$$の関数$${y=y(x)}$$ と思ったものである。言い換えれば、多項式係数の($${y}$$に関する)代数方程式
$$
a_n(x)y^n+a_{n-1}(x)y^{n-1}+\cdots+a_1(x)y+a_0(x)=0
$$
(ただし、$${a_0(x),a_1(x),\ldots,a_n(x)}$$は$${x}$$について多項式で、$${a_n(x)\neq 0}$$)の解となる関数$${y=y(x)}$$のことだ。もちろん、一般に$${y}$$は$${x}$$に関する一価関数にはならないので、これは多価関数【注:独立変数$${x}$$の値に対して従属変数$${y}$$の値が複数決まるという、一般化された関数概念。】である。上の状況では、$${y=y(x)}$$は$${x}$$の値に対して高々$${n}$$個の値$${y}$$をもつ有限多価関数である。
例えば、関係式$${y^2-x=0}$$は、$${y=\pm\sqrt{x}}$$という代数関数を定める。このように代数関数においては、多価性に由来する取り扱いの難しさがある。それだけでなく、分岐点(例えば$${y=\pm\sqrt{x}}$$では$${x=0}$$で分岐が生じる【注:実は$${x=\infty}$$でも分岐が起こる。】)や関係式$${F(x,y)=0}$$の特異点は、技術的に特別な点として扱わなければならない。
代数関数論における重要な対象は、上記のような代数関数の積分
$$
\int_{\gamma}G(x,y)dx\qquad(F(x,y)=0)
$$
($${G(x,y)}$$は$${x,y}$$の有理関数、$${\gamma}$$は適当な積分路)や、その逆関数である。例えば、
$$
\int_{\gamma}\frac{dx}{\sqrt{1-x^2}}
$$
の逆関数は正弦関数$${\sin x}$$であり、周期関数である。18世紀末のファニャーノや青年ガウスが研究したレムニスケート積分
$$
\int_{\gamma}\frac{dx}{\sqrt{1-x^4}}
$$
の逆関数は二重周期関数であり、三角関数と同様の加法公式をもつ。これは一般に楕円積分と呼ばれるクラスの積分について成立することであるが、レムニスケート関数の場合はさらに虚数乗法もある。一般の代数関数の積分においても似たような現象がさまざまあり、その一部は19世紀初めのアーベルによって定式化され証明された。
代数関数論は幾何的にも数論的にも豊かな数学の沃野であった。すでに19世紀前半には保型形式や超幾何微分方程式、さらに多くの驚くべき現象の世界が垣間見えていた。しかし、その大域的な姿を把捉することは、当時の数学の技術では困難であった。代数関数は多価関数であり、大域的にはひとつの式に書き下せない。したがって、その積分の計算は困難を極めるわけだが、さらにそれは積分路$${\gamma}$$の取り方にもデリケートに依存する。冪級数展開を計算して項別積分するという作戦はそれなりに有効ではあるが、これで得られる情報は局所的なものに限られ、そこから関数の大域的な情報を引き出すことは難しい。
いずれにしても、「式に書けない」関数を積分して逆関数をとるというわけだから、ちょっと聞いただけでも大変な話である。アーベルが一般的な結果を得ることができたのも、彼が天才であったからこそだ。要するに「式と式変形による数学」は限界に達しており、まったく新しい数学のやり方を創造する必要があった。ベルンハルト・リーマンが導入した「リーマン面」の概念は、まさにそのようなブレークスルーである。代数関数が難しいのは、それらを普通に複素平面上で考えるからである。それぞれの代数関数は、それぞれ正しい「面=空間」の上で考えてこそ、その本質が明らかになる。リーマンはそれまで「式で計算していた」ことを「面で計算する」という、まったく新しい数学のやり方を導入したのだ。
リーマンの空間論は、1854年の教授資格取得講演『幾何学の基礎にある仮説について(Ueber die Hypothesen, welche der Geometrie zu Grunde liegen)』でつとに有名であるが、この講演で提唱された新しい空間概念の源泉には、1851年の学位論文で導入されたリーマン面の概念があった【注:以下、詳細は[加藤 第3章]を参照されたい。】。リーマン面は(少なくともある一面では)代数関数を一価化する面(複素平面上の被覆面)である。代数関数$${y=y(x)}$$が$${F(x,y)=0}$$で定義されるなら、原理的には$${F(x,y)=0}$$で定義される$${(x,y)}$$平面内の曲線がリーマン面である【注:ただし、ここには多くの留保がつく。まず、ここでいう平面とは$${x,y}$$がそれぞれ複素数を動くので、実次元では4次元である。その中で、ひとつの関係式$${F(x,y)=0}$$で複素次元が1だけ下がるので、曲線といっても複素次元で1次元、すなわち実次元では2次元の面になる。次に、特異点を気にしなければならない。一般に$${F(x,y)=0}$$で定義される曲線は(無限遠直線上も含めて)特異点をもつ。これらは解消できるが、解消されたものは、もはや平面内の曲線ではない。】。
リーマン面の導入は、代数関数論の本質をその深淵から掘り起こし、幾多の技術的障害を極めて魅力的な形で解消した。リーマンが示した新しい道は、それだけではない。彼は「関数(関数体)は面である」と言っただけでなく、「面は関数である」とも言った。すなわち、(複素構造の入った)面は代数関数から作られる、より正確には「閉リーマン面は定数でない有理型関数をもつ」ということだ。これは近現代の西洋数学においても最高峰の、深遠で驚くべき発見である。リーマン自身はこの「リーマンの存在定理」の、同時代の数学界にも受け入れられるような証明を与えることはできなかった【注:一般的なディリクレ原理が必要であり、その解決は20世紀を待たなければならなかった。また、リーマンによる「式を使わない数学」が、ワイエルシュトラスを含む多くの同時代の数学者たちには疑念の目で見られていたことも有名である。】が、その正当性は20世紀初頭までには完全に受け入れられた。
リーマンの存在定理から導かれる内容の中でも驚くべきものは、「すべての閉リーマン面は非特異射影代数曲線である」というものだ。これによって、ルネッサンス以来蓄積されてきた射影幾何学の手法が、代数関数論に使えることになった。リーマンの面の概念は、代数関数論と射影幾何学を統合してしまったのである。この統合によって誕生した魅力的な学問分野は、のちに「代数幾何学」と呼ばれる現代数学の分野に成長する。
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リーマンによってもたらされた空間概念は、その後、点集合に仮説的な構造を上物として載せるという、いわゆる(ホイットニー的な)「多様体(manifold, variety)」という形で定式化される。これは
$$
\textrm{点概念}+\textrm{構造}\ \Rightarrow\ \textrm{空間}
$$
という図式で空間を捉えるというものだ。点概念には集合が用いられたが、構造を表現する方法も20世紀には大きく進歩した。この意味での空間概念、例えば「幾何学的空間とは(局所)環付空間(=位相空間+(局所)環の層)である」という見方は、特にブルバキによって強力に推進され、ブランド化され、現代数学の隅々にまで浸透した。
量子力学は状態の空間と物理量の空間の双対性を基軸として、新しい空間の捉え方を数理科学にもたらしたが、その延長線上における代数幾何学の刷新は、1950年代以降のグロタンディークによるスキーム理論から本格的に始まる。1をもつ可換環$${A}$$から$${\mathrm {Spec}\,A}$$という局所環付空間が定まる。「方程式は環であり、解とは準同型である。」すなわち、$${\mathrm {Spec}\,A}$$は空間を定義する式そのものであり、例えば$${K}$$値点という点概念は準同型$${A\rightarrow K}$$で与えられる。言い換えれば、点は構造で決まる
$$
\textrm{構造}\ \Rightarrow\ \textrm{空間}
$$
というわけだ。
しかし、「構造」と「点概念」は常に整合的な関係にあるというわけではない。スキーム論は象徴的な成功体験であったが、スキームのようにいつでも「正しい点概念」がすぐに手に入るとは限らない。例えば、20世紀後半から始まる非アルキメデス的幾何学(リジッド幾何学)の歴史は、このあたりの状況を教訓的に示しているし、非可換幾何学のように、整合的な点概念が存在しない状況もある。いうなれば、点概念は必ずしも構造に内属しているわけではないのである。
となれば、空間とは単に構造である
$$
\textrm{構造}=\textrm{空間}
$$
というのが(現時点での)最終形となるだろう。トポスなどの圏論的な空間は、まさにこの方程式を体現している。圏における「対象と矢印」の多層的ネットワークは、ライプニッツ的な「位置と関係性」による空間概念の現代版とも見なせるかもしれない。
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以上のことが示唆している内容を要約すると「空間とは有限性を超越する構造である」ということになるだろう【注:ここでいう「超越」の意味は深められ詳にされるべき事項であるが、これは「数学の正しさ」とも関連する大きなテーマであるため本稿では詳しい議論を見送り、note版の続編の中で論じたいと思う。】
古代幾何学の出発点は、測地・測量から派生した作図法にあり、作図を通して図形のより深い性質が見えてくるという素朴なものだった。その後、古代ギリシャが論証数学を推進するようになって、図形のさまざまな性質、例えば、三角形の内角の和は二直角に等しいとか、三平方の定理などといった命題の数々を、ひとつの論理スレッドの中で統一的に論じることが可能となった。
しかし、公理論的な論証数学と作図に基づいた手順的幾何学は、本来まったく相異なるものだ。それらが最初からうまく溶け合う必然性があるわけではない。当時の論証数学を推進した人々も、これらの間に避けがたいギャップがあることを、おそらく理解していただろう。直角が位置によらないこと(公準4)や、平行線が一意的であること(公準5)は、有限の作図では到達できない超越的な問題である。しかるに、これらの問題について現実的なヒュポテシスを置くことは、実際の作図に要する有限範囲の平面片だけではない、無限の広がりをもつ平面全体の構造を決めることに他ならない。古代ギリシャ人たちはこのようにして、定曲率0の滑らかな平面という空間概念を暗黙のうちに措定していた。
ライプニッツにとって、この超越の問題は別の角度から立ち現れた。微分積分学の発見者・創始者のひとりでもあるライプニッツは、おそらく空間の局所的構造(曲率など計量に由来する構造)を「積分する」ことで、大域的な構造を「計算できる」という見通しをもっていただろう。例えば、直線概念は「測地線(最短連絡線)」として局所構造から決めることができる。そこから平行線の問題や空間の等質性といった大域的かつ超越的な性質にも、無限小算術の計算アルゴリズムによって到達可能だという考え方に自然に導かれるだろう。となれば、ライプニッツ的空間の超越性は、点概念とその関係性という局所構造、特にその関係構造から空間自体が構成されるという基本理念を目指すことになるだろう。
リーマンにとって超えるべき有限性は「式の計算」である。代数関数やその積分は、古典的な式変形による計算だけで扱うことが困難な対象だ。式の計算で到達できるのは、各点の周りでの冪級数展開でも、アフィン近傍における座標を用いた計算でも、いずれにしても局所的なレベルにとどまる。そこから大域的な描像に到達するのは技術的に大きなギャップがある。この「手順的」解析学を一挙に鳥瞰する超越的視点を得るために、リーマンはまさに新しい空間概念を導入したのである。リーマンは関数を面に置き換えるという離れ業によって、「式の計算」を「面の幾何学」にしてしまった。
この文脈における「超越性」、すなわちリーマン面の超越性の本質は、まさにその存在論にあった。西洋数学にとって19世紀は、数学対象の存在論が古典的なものから現代的なものへ、大きくシフトする時代だった([加藤 第2章])。リーマンはその真っ只中にあって、計算や論証といった、数学における「普通の行い」とは決して考えられてこなかったやり方を、新しく数学のやり方として迎え入れることを宣言した。そして、これに呼応して、数学における対象の「新しい実在論」を構想し、数学対象の存在規準そのものを刷新しようとした。リーマンの教授資格取得講演『幾何学の基礎にある仮説について』は、まさにこの数学対象における新しい実在論の宣言だったのである([加藤 第7章])。
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圏論には有限性と無限性(超越性)の驚くべき融合がある。圏は計算過程や論理の流れを表現する傍らで、代数幾何学や数論幾何学に現れる空間や空間のクラスを表現することができる。圏論は数学対象の存在論にも革新を起こしている。その驚くべき自由性と表現力によって、数学のみならず数理科学の隅々にまで、理論的にも応用においても、大きな影響を及ぼし始めている。
有限性と無限性の融合という視点は、数学における「計算」の意味を刷新する可能性をも示唆しているように思われる。実際、ローヴェアらによる圏論的ロジックの出現以降、空間(外延)としての圏と論理(内包)としての圏という考え方はうまくブレンドされるようになってきたが、このようなことはエレア派の時代にはおよそ考えられなかったことである【注:丸山善宏によれば、このような動きはより広範なスケールで起こっている知の変容と密接に関連している。「外延的概念から内包的概念への移行は、理論計算機科学が計算の外延的構造の研究から計算の内包的構造の研究に移行したように、圏論的論理学が真理の構造(証明可能性の意味論)から証明の構造(証明の意味論)の研究へと移行した(「何が正しいか」から「なぜ正しいか」へと重点が移行した)ように、また代数幾何学が式の零点の構造の研究から式それ自体を表現する構造の研究に移行したように、科学の諸分野を横断して発生してきた、近代の知の構造に特徴的な概念的変容である」([丸山 p.103])。】。圏論は、少なくともこれからしばらくは、現代数理科学における空間概念を表現し、現代的な数理科学的現象の基本モデルであり続けるだろう。
公理論的空間、局所構造による空間、現象を統合する空間、構造そのものという空間等々、空間概念のあり方は時代の中で大きく変わってきた。その中にあって「空間とは超越である」、あるいは「空間とは有限性を超越する構造である」といった側面は、ある程度の一貫性をもって現代に到っているように見える。しかし、その傍で、圏論的空間概念は超越を伴わない「手順的空間」「計算的空間」をも実現しようとしているのかもしれない。歴史上、新しい空間概念の導入は作図の意味を拡張し、計算の意味をも変容させてきた。空間はただの入れ物ではなく、数理科学の対象に新しい意味を吹き込む構造であり続けてきた。リーマン面においてそうであったように、複数の数理科学分野を統合してしまうだけの強い地殻変動をももたらすこともあった。機械学習やAIの時代になり「計算」の意味が大きくクローズアップされる現代という時代の中で、今後も空間概念はダイナミックに変化していくであろう。
謝辞
本稿の執筆にあたっては、平井靖史さんからのご助言・ご教示が欠かせんませんでした。また、このテーマでの執筆を筆者に提案されたのも平井さんです。心より感謝致します。
参考文献
・Heath, Thomas L.: The thirteen books of Euclid's elements, Vol. I, 2nd Ed., Dover, 1956
・斎藤憲・三浦伸夫[訳・解説]『エウクレイデス全集』第1巻 原論I-VI、東京大学出版会(2008)
・De Risi, Vincenzo: Geometry and Monadology, Leibniz's Analysis Situs and Philosophy of Space, Birkhäuser, 2007
・稲岡大志『ライプニッツの数理哲学 空間・幾何学・実体をめぐって』昭和堂(2019)
・加藤文元『リーマンの数学と思想』リーマンの生きる数学4、共立出版(2017)
・丸山善宏『万物の計算理論と情報論的世界像』現代思想2023年7月号「〈計算〉の世界」青土社