#001 これからの日本語教師と日本語教育〜「今、考えていること」のさわり〜
2023年3月23日にしたインターカルト日本語学校の学期末教師会を前に、専任と非常勤すべての教師たちに向けて配信した動画の中で話したことです。下に書いたことはその第二章で、その前に日本語教師の国家資格化について、国会での審議を前に法案の内容の解説をしました。
(動画は事前に視聴、当日までに感想や意見をgoogleフォームに書き込んでもらい、当日はそれをもとに…という反転授業方式でしました。)
コロナ禍を経て
2020年の新型コロナウイルスの感染拡大と歩調を合わせるように、私は日本語教育の「新たな形」について考えてきました。
教育を作るのは教師です。そう考えると「教育」の新たな形と言うより、「教師」の新たな形かもしれません。いい授業ができる教師とは、いい教材を作れる教師とは、いいプログラムを作れる教師とは。
前提とされている現状への疑問
時間をかけて修行しないと一人前になれないという当たり前。一人前になれたとしても報酬が伴わないという当たり前。これは偽らざる日本語教師の現実です。
でもちょっと、何でもいいので、誰にでもできるかなと思う仕事を頭に思い浮かべてみてください。その上でこれを聞いてください。「報酬は仕事の希少価値に左右される」、「レア度が低い仕事に高い報酬が支払われないのは当たり前」。どうでしょう。確かにそうですよね。このことをちょっと頭に置いておいていただきながら、次にいきます。
日本語教師を「職業」に
私は1988年に日本語教師になったときからずっと、日本語教師を職業にし、社会的地位を上げたいと思ってきました。それを自分が現役の間に成し遂げたいと思ってきましたが、残念ながら難しそうなので、せめて橋を架けるところまでと思ってしている今の色々です。
「職業」と「仕事」は違うということ、わかりますよね。職業は生計を立てるもの、 仕事は働く内容です。だから、仕事が忙しいって言うけれど、職業が忙しいとは言わないのですよね。
職業としての日本語教師は、ワンランク上の、レア度の高い教師。そうなるためには、「教えることだけ」からの脱却だと思っています。
職人だなと思う先生、結構多いです。職人の多くはアナログであることが多い。でも、見方を変えると、このアナログな職人は機械と共存できます。仕事は機械に任せて、教師は人間にしかできないことに取り組む。そうすれば職人の仕事の幅は広がり、収入も増える。どうでしょう。
この前提は正しいか
日本語教師の仕事の前提について考えてみます。
いわゆる「初級」で、「学習者=未習」という前提で行われる授業、「導入」は教室で教師が日本語でする、という前提。
いわゆる「中級」で、学習者が抱く「つまらない」「進歩が実感できない」という気持ち、これ、どうしてそうなってしまうのか。
いわゆる「上級」の授業で教科書を使うこと。(もちろんそれだけでないことはわかっているけれど)上級が目指すことは何なのか、それを本当にわかって授業をしているか。
一つの考え
いわゆる「初級」でも「中級」でも「上級」でも、知識の【インプット】はテクノロジー(機械)に任せる。人間にしかできない生の【アウトプット】を、人がリアルでするというのを当たり前にしたらどうでしょう。
(ここで、私がそう考えるに至った、2017年にアメリカ(テキサス)で見聞きした同期・非同期を組み合わせた授業の形、2022年のオンライン日本語教育実証事業でしてみた授業の形について、少し話しました。)
ワンランク上の教師とは
教師には、梅教師、竹教師、松教師があると考えてみましょう。たとえば、梅教師は、スタンダードの教材で授業をする従来通りの教師。竹教師は、スタンダードの教材を使いながら、オリジナルの●●も作って授業をする教師。松教師は、オリジナルのあらゆる●●が作れる教師。
自力でデザインできる教師が松教師です。デザインする●●は、授業、教材、カリキュラム、プログラムなど。私は非常勤だからカリキュラムは仕事の範疇ではないとは考えないでください。毎日の授業を、言われた通りにするのではなく、自分でデザインしたオリジナルの授業ができれば、それがワンランク上の教師です。
教師個人が、より高い専門性とノウハウを売ることができるようになったら、それは今までの教師とはワンランク上の教師で、そこに待遇がついてくる。
…はずです。そして、それを後押しするのが法律であるはずです。
「日本語教育」ってそんなに専門的なことですか?
最後に、琉球大学の名嶋義直先生がALCE言語文化教育研究会オンラインマガジン「トガル」に書かれた文を紹介しました。
---(以下引用)
「日本語教育」ってそんなに専門的なことですか?
「日本語教育」ってそんなに特別なことですか?
「日本語教育」って誰にでもできることじゃないですか?
みんなそのあたりのことはなんとなくわかっていて、だけどそこは大人だから自分からは口には出さず、自分たちの存在意義を演出するために、専門領域という狭い世界の中で専門家やプロフェッショナルぶっているだけじゃないかと意地悪く思ったりもする。言語教育の世界は、日本語教育に限らず、どんな言語の場合でも似たり寄ったりかもしれないが。
---(以上引用)
コロナの真っ只中から今までずっと「これからの日本語教師と日本語教育」について考えているのですが、そのためには、当たり前と思ってきた前提を疑うことだなと思っているのが今の私です。
以上、動画で資料を見せながら話したことを書いたのでわかりにくいかもしれません。ご容赦ください。
今年でちょうど35年関わってきたことになる日本語教育。これから自分がすべきことは何かとも考えています。そろそろ優先順位をつけて取り組む年齢に差し掛かっている自分です。