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実家に帰りたくなる気持ち
GW、実家に帰って過ごしている人も多いかと思いますが、仕事が忙しくて帰れない、それとはまたちょっと違う、親戚付き合いとか色々な理由で、帰りたくても帰れない人もいるかと思います。そして、もう実家すら無くなってしまって「はて、どこへ行けば "帰った" と、心から感じることができるんだろう・・・?」と、心もとなく感じる時もある方もいらっしゃるかもしれません。
そんな時に、写真を見て懐かしかったなぁと、振り返ってみたり、思い出の場所を思い浮かべたり。もう、何十年も経って景色も変わっているけれど、ふと、その場所を訪れたくなったりするものです。
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そんな"帰る場所"を作るために、家に何気なく置いてあったような道具たちがあったらいいんじゃないかと思って始めたのが、"家董"(かとう) です。何も、盆暮れ正月、GWだけじゃなくとも、日々の暮らしの中で常に寄り添っているような感じもできると思ったんです。
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昔(?)、写真表現としても作品にまとめていた時があったのですが、写真という平面がどうしても狭く感じるようになりまして、空間を使って展示もしていました。で、最終的に今は"道具"というものになっています。ゆくゆくは、ちゃんと写真と空間と道具として(展示)出来る日がくればと、時を過ごしているわけですが・・・「 !!! 」と電気が走る日は、まだちょっと先のようで、あえて(?)写真は安易に撮らずに遠回りをしています。
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いいホテルや旅館に泊まり、おいしいものを食べ、
ガイドブックに載っている観光名所を見てまわる。
そんな家族旅行にたくさん連れて行ってもらったし旅行というほどでもなく
どこかの埠頭や船のある公園、誰もいないスタジアム、
トンビが飛んでいる浜辺などに連れていかれた時もある。
思いだそうとしても、そこで何をしたのかなんてのは、
グチャグチャと混ざり合って1つの大きな記憶違いの塊となっている。
その記憶の中は、痛みを一時的に忘れるためにどこかから逃げてきたようで、
どこか曇っていて、感じられるものがあまりない。
それでも、浅瀬に大きなカニがいて騒いだこと、
シャンデリア風なガラスのお土産が欠けたこと、
いつだって花火は遠くて最後まで見ることはなかったこと、
突然不機嫌になる母や姉に、なすすべもなく床のマス目に合わせて歩いたこと、
自転車で先を走る父は曲がる方へ手を水平に上げていたことなど、
夢だったのかもしれない些細な瞬間ばかりをよく憶えている。
今でもそれらの記憶が私をどこかへ連れていこうと手招きしてくる。
正しいとも感じてはいないけれど、無視したところで
変に思いが強くなってしまいそうな面倒な(それはやっぱり家族の)ことだから、
私は、自転車で先を走る父が水平に手を上げて曲がる方向を示していた
あの頃と同じようにただついていく。
信号をたどっていけば、昔からよく知っている
“大きな指に抓まれているあの感覚”へと、ちゃんと還れる。
そんな気がしはじめている。
「水平に上げられた手の方へ」(2016) より
そうそう "大きな指に抓まれている感覚" を、探してたんだっと懐かしいのですが、きっとそれって、出産の時に助産師さんが頭を持ってくれていたような感覚だと思っているんです。そういった感覚の夢(?)を見たのをすごく覚えていて、時々その感覚が不意にやってくる時があります。でも、言葉にも何も表現できなくて、悔しいのですが、そういうところに行き着けたら、また1つ何か出来そうな気がしてます。今はとりあえず、道具集めしております。
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ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。
[ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。