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考えないでいると、いいことばかり
何も考えずに目をとじて泳いでいると、全然疲れない。そして、長く泳げる。でも、目を開けて頭であと5mだ!とか考えて、手をもっと前に出して、バタ足は太ももから!と、体を動かしていると下手したら25mでも疲れてしまう時がある。この違いったら半端ない。
それを人生に置き換えてみたら、めちゃめちゃ目から鱗ではないかと思ったのです。
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まー、きっと瞑想に近い感覚なんだと思うんですが、やっぱり無で、ただ体が感じるままにやるってのは、もう知っていることをやっているような感じで、無駄な動きが分かったり、使うべき筋力はここか、と気づけたり。
計画性がないというのは、違うのですが、ここぞって時に「考えない」頭を持つ。その後に考えてみると、すごい効果覿面です。
つまり、つむってずーーっと泳いでいて、ハッと目を開けて泳いでみると、もーすごいよくわからないくらいにスムーズに泳げる。
これを置き換えて見れば、あえてフラフラしつつ、ここって時に頭をフル回転させる・・・。
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・・・うん、割といつもそんな感じかもしれません。逆に、ちゃんと考えなきゃ? 笑 いや、逆に考えるのをやめなきゃ?・・・どっちの逆なのかがわからないくらいです。そんな時はどうするんだ・・・?と、また考えてしまいそうです。
テニスも、バックハンドが調子がいいとフォアハンドが調子悪くて、そうそう容易いもんじゃーござりませんな。
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ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。
[ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。