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女であることを辞めたくなる。

自分は現在、性暴力についての卒論を書いている。

ふと考えることがある。

私がいくら「女らしさ」を捨てるために、
長い髪を切り、例えば坊主にして、
乳を切除し、
化粧もせずに、短パンで過ごし、
筋トレしたとしても、

それは女であることを辞められることにはならない。

そこには子宮があって、いつでも妊娠できる、つまり、いつでもレイプされることができる体があるのだ。

(ちなみに母体保護法によりこういう個人的な理由で子宮は切除できない)

その事実に、なんか辛くなってしまう

生まれてきたその姿を
勝手に性的なものとして扱われ

勝手に性欲の対象とされ、

時には傷つくことを避けられないという事実に。

私のせいじゃないのに、私が気をつけないといけないという事実に。(夜道に1人で歩かない、一階には住まない、エレベーターで2人きりにならない、谷間や太ももは露出するな、挙げ出したらキリがない)

私の体なのに、私の好きなふうに扱えない。

小さい頃からずっとじいちゃんと銭湯に行くのが好きだったのに、ある時を境に、もう一緒には入れないよ、と言われた時の悲しい気持ちを思い出す。

それって私のせいじゃないのに。私の体を性的な目で見てくる男性のせいなのに、私がじいちゃんとの楽しい時間を我慢しないといけない。

父親の会社でのブログを発見した時、
父親は、「最近、小学3年か4年の娘と風呂に入るのが恥ずかしいんです、笑」と書いていた。

何が恥ずかしいんだろう。

考えたら、消えたくなる。

私、将来、息子の体を見て、照れるな、とか、なんか恥ずかしいな、とか思うのかな。

(そもそもこういうプライバシーを侵害するようなテーマを会社のブログに書くこともおかしい)

こういうことをぼんやりと考える


性的な眼差しを向ける、それが当たり前でしょ?となる社会も、おかしいと思う。


身体的な性差がなければこんなことも考えずに済んだのに。生殖の仕方が、片方に棒があって、片方には穴だけがある、こんなんじゃなければ。

神様は命の作り方を間違えてしまったと思う

でも、身体的性差がなければ、誰かに惹かれるってこともなくなるのかなって考えたり。でもそんなことないよね、その人の中身は変わんないわけだし。


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カトウ
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