私が初めて中国人妻の実家に行った時の話
華村氏のNOTEを読んでて自分も同じような経験したなあと思い、そうそうと頷きながら読ませてもらった。
ここでは、私の体験談を書いてみたいと思う。ちなみに、私は懲りずに2度も中国人女性と結婚している。ということは、華村氏と似たような経験を二度経験したということだ。うっせぇわ、何か文句あっか。
一回目の時
これも華村氏と同じく、湖南省のとある地方都市のとある鎮・村に行った時の話である。当時は高速鉄道なんかなく、東莞からバスで8時間、そこから鎮行きのバスに2時間揺られてやっと到着するような辺鄙な場所であった。
鎮と言っても中心地には売店が2つあるだけで、街という様相を全く呈していなかった。どえらい農村に来てもうた、それが第一印象だった。
当時の妻の実家があった農村は、住人が500人弱おり、全て同じ姓の人達だった。要は全員親戚である。
日本人が来たぞ!という御触れ込みで、全村人が妻の実家に集合してきた。その数500人以上、全員来たんかい(笑)
「おーこれが日本人かぁ!俺たちと変わらないなあ」(一緒にすんな)
「日本人だ!銃を持ってるかもしれないから気をつけろ!」(戦争しに来たんちゃうわ)
「背が高いな、ほんとに日本人か?日本人はちびしかいないって話だぞ」(やかましわ)
そうやってかれこれお披露目会(被囲観)は2時間程続いた。私は極力笑顔を作りながら彼らと交流を図った。皆人はいい人達だった。そこからは華村氏と同じ状況が始まった。
中国では祝い事やコミュニケーションといえば、とにかく一緒に飯を食うことです。嫁自信の実家に集まった親戚衆以外にも、今日はこの人たち、明日はあっちの家で、と滞在中はあらゆるところに連れ回され、数えきれない人数の親戚と一緒に食卓を囲みました。
これこれ。食事はなかったけど、各家に連れていかれて菓子とか果物食いまくらされた。どんなけ食わすねん、と。
んで、2回目
今の妻の実家に行った時も同じような状況であったが、義父の兄(妻の叔父)の家に集まることとなった。
初めて会った叔父は農村の人とは思えない風貌に知識人オーラがぷんぷん漂っており、しかも60代とは言えかなりのイケメンだ。一目でこの人はただものじゃないと思った。そんな私の様子を見た妻が、
「叔父さんはね、定年までこの鎮の書記長(トップ)だったのよ。書道の腕前も凄いし、読書が大好きで、小さい頃よく勉強教えてもらったの」と。道理で雰囲気あるわけだ。書記長て、めっちゃエライやん。
妻の叔父の家に同じ姓の親戚や分家の親戚、妹夫の実家の親戚も集まって300人ぐらいは集まっただろうか。またもや日本人お披露目会が始まった。ただ、この時日中間の暗い歴史について語ってくる人は一人もいなかった。
私はひたすら笑顔で、買ってきた高級タバコを配る作戦に徹した(笑)これは事前に義父からのアドバイスであった。配ったタバコは何故か日本の物ではなくイギリス製(笑)親戚の男性の方々のご満悦な尊顔を拝見しほっとする私。
「息子よ、中に入って座りなさい、話をしよう」妻の叔父から呼ばれたので家の中に入った。テーブルには30種類ほどの料理が用意されている。全て肉料理だ(笑)叔父の奥さんから「あなた他に何か食べたいものがあったら言ってね」と言われたので「青野菜食べたいです!」と即返事した。更に私の妻も野菜指定で料理の追加をお願いしていたw
料理が出来上がるまで、私は妻の叔父としばしお話をさせて頂いた。軽い自己紹介から、中国の歴史について。驚いたのは、叔父の博識ぶりだった。歴史はもちろん、漢詩、唐詩、宋詩等の詩のみならず、書法、中国各地の文化についての理解、日本についての理解が軒並み深く、私はただただ感服するしかなかった。
共産党員というと普通の人は怖いイメージしか湧かないことが多いと思うが、私が出会ったことある方々は皆文化指数が高く、口を開けば金庸の小説みたいに諺がすらすら出てきて、結構な頻度で歴史書や詩から引用をしてくる人が多く、「ただ単に中国語を勉強しただけの人」にとっては、ハードルがかなり高い話相手となる。そう、知識人が非常に多いのである。私はこういう方と話をするのが大好きである。叔父はほんとに人柄も良く、聡明で、しかもイケメン、非の打ちようがない人だった。
ちなみにのちに聞いたところ、その時の僕の義家族に対する評判はあまり良くなかったようです。なんでだ。誰とも話そうとせず、黙々とメシを食ってたからか。だって言葉がわからないんだからしょうがないじゃないか。まあ今は巻き返して結婚まで漕ぎつけたんだからいいだろ。
華村氏への評価とは裏腹に、親戚の私に対する評価は異常に高かったらしい。叔父に認められたことがいい印象につながったのかもしれない。
親戚は確かに方言オンパレードだったが、私はコミュニケーションをとるということは徹底して行った。向こうの言ってることは分からなくても、こちらが喋る中国語は皆理解してくれるからだ。分からなかったら妻や親戚の若い人たちが通訳してくれるから困ることはなかった。分からなくても分からないなりにコミュニケーションをとろうという姿勢はやっぱり相手に伝わるんだな、と改めて思った次第である。
とはいえ、いち外人が中国人の実家(特に田舎)に行って、聞いたこともない言葉に囲まれて、日中の暗い歴史にも影を差され、大勢の親戚に囲まれて自分と言う人間をあらゆるところから鑑定されるというのは中々ない経験であるし、困惑することも仕方がないことである。
書いてるうちに妻の叔父にまた会いたくなってきた。今度はどんな話をしようか心が躍る。