子供達を見守る大人達と家族愛
けんいちさんのNOTEを読んで深く考えさせられた。そして、子供の無邪気さと親への愛に改めて考え直させられることが多かった。けんいちさん、いいお話を有難うございます。
子供と真摯に向き合う大人達
上海で生まれ上海で育ってきた娘は普段は妻の両親が面倒をみているので
自分達が育てた子という意識も強くあり日本で楽しむ娘の写真や動画をあまり見たがらなかった。今日、日本でこんなご飯食べたよ。とかこんな場所いったよとかそんな写真を見たいかなと両親の不安を気にしていた僕だけど、あまり見たくないらしい雰囲気だった。中国と日本の暮らしを比較しているかのようにとられたかもしれない。普段見せない笑顔や近所の子供たちと
遊んで走り回ってる風景、上海ではない風景上海では近所の子供同士で走り回る事は少ない皆、勉強や危ないからの理由で外で遊ばないそれを見ると中国の両親は日本のように楽しませてあげれてない・・・そんな気持ちにさせてしまっていたらしい。僕は、いつも上海で暮らしているから今回の機会を逃さず、日本を思いつきり楽しんで日本人らしい暮らしを少しでもしているのが嬉しくそんな娘が可愛くてしかたない。しかし妻や妻の両親には、そう映っていなかった・・・
これは本当に複雑な気持ちが入り混じる。もし私がけんいちさんであったら、同じように娘が楽しんでいる様子を見て心底喜ぶと思う。子供の親とはそういうものである。
ただ、普段孫の世話をしている義父母が言葉が通じない国で楽しそうに暮らしている孫の姿を見れば、嬉しい反面、複雑な気持ちになるのは容易に推察できる。
義父母や奥様には、この状況は「面白くない」という思いはないと思う。ただ、孫もしくは娘にもっと出来ることがあったのではないかという自責の念が生まれたのではないかと思う。
これも普段から真摯にお孫さん・娘さんに向き合ってるが故であろう。
家族毎にそれぞれの形がある
翻って、我が家の場合はどうだろう。日本の実家の両親は、基本息子達が返ってくるとバイクでツーリングや海・川に行って沢蟹や魚を捕まえに行ったり、車でドライブに連れて行ってくれ、普段子供達が経験していないようなことを特に意識してやってくれているのをひしひしと感じる。
私の妹も勝手にスケジュール決めて、バーベキューしたり姪達と日帰り旅行に連れて行ってくれたりする。
両親も妹も特に「意識して」普段経験できないようなことをさせてあげようという意図は持っておらず、「楽しいことを経験させてあげよう」という考えしかないと思う。
逆に、妻の実家の両親(義父母)は、田舎の街に住んでいる為、子供達が帰ってきても特にどこに連れて行くことはない。自分達の街が何もないことをよく理解しており、公園に散歩に連れて行ってくれたりはするが、義父母は何か特別なことをしてあげなければ、という意識というか気負いは全くない。
彼らの場合、「家族として一緒にいる時間」を非常に大事にしていると感じている。何気ない生活を一緒に過ごす。毎日朝起きて散歩して、朝ごはんを食べ、果物やお菓子を食べ、お昼・晩御飯を食べ、そして寝る。普段通りの生活を送る。
妹夫婦や、弟夫婦は車があるので彼らと一緒にいる時は、彼らなりに考えてヤマモモ狩りや面白い風景がある場所に連れて行ってくれる。
うちの家族は誰であっても、彼ら自身が考える「こういうことしてあげたら喜ぶだろうな」、また家族として一緒に過ごすことが出来ればそれで充分と考えているのであろう。私は彼らの家族の一員で本当に良かったと思うし、感謝している。
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今日からじいじとばあばがパパ・ママだ
私の息子二人は、前妻との離婚後2年弱私の両親の元に預けられ、祖父母に育てられた。
両親の実家で生活をスタートすることになったその日、私の父は「今日からお前達のパパとママは、じいじとばあばや。何があってもじいじとばあばがお前達をしっかり育てて守ったるからな!」と高らかに宣言した。
最初は戸惑っていた息子二人も、関西人の祖父母に厳しくボケとツッコミを仕込まれ、塞ぎがちだった心を徐々に開いていった。
私がいない2年弱、両親は本当に孫達を自分の息子のように可愛がってくれたし、厳しくしつけをしてくれた。
病気になった時も緊急外来に連れて行ってくれたし、学校や幼稚園の先生とも密にコミュニケーションをとってくれ、心のケアをしっかりしてくれた。
あの2年があったからこそ、子供達も子供本来の明るさを取り戻すことが出来たし、楽しい思い出もたくさん出来たと思う。私とは違ってコミュニケーションお化けの父は本当に人を喜ばすことに関しては天才だったし、優しさの塊のような母も全ての愛を孫二人に注いでくれた。両親には感謝しても感謝しきれない。
妻と始めて出会った子供達、そして…
今の妻を連れて初めて実家に帰った時。当時まだ結婚前で、妻の両親にもこれから結婚手続きをします、と話をする少し前の話。
*妻の両親に結婚の報告を行った時の話はこちらをどうぞ
私の両親は、結婚を考えている彼女が来るということで色々身構えていたのは容易に想像できた。
また、中国人と結婚するのか、本当に大丈夫か、子供達と一緒に暮らしてうまいことやっていけるのか、諸々不安だらけだったに違いない。
家に帰ってすぐ、お茶を飲みながら私の父から矢継ぎ早に質問が妻へと投げかけられる。それを落ち着いた様子で受けて、丁寧に言葉を返していく妻。
正直妻が日本語を喋るのをほとんど聞いたことがない私は、その日本語力と彼女の対応力に心底驚いた。ここぞという時は、妻は常にどんと構えて取り乱さない(普段つまらんことにやたら取り乱すが笑)のだ。
時間が経つにつれ、父の表情も和らぎほっとした様子になっていった。母は常に優しくこの「アウェー」に乗り込んできた妻を気遣い、来てくれてありがとう等声を要所要所でかけてくれていた。妻も大分安心した様子だった。
一番驚いたのは、次男が我々が実家に滞在中妻にべったりだったことだった。初めて会う「他人」であるおねーちゃんにべたべたしているのである。そんな次男を可愛く思ったのか、妻もよく面倒を見てくれた。
上海に戻った後、母親と電話をしていたら、息子達がこんな会話をしていて驚いたと。
次男「これからは〇〇おねーちゃんが俺らのママやな」
長男「せやで。ちゃんと言うこと聞かなあかんで」
次男「でも、俺らが上海行くまではじいじとばあばがパパとママやからな」
長男「当たり前やろ」
兄弟二人でこんな会話をしていたというのだ。母は泣きながら「良かった、良かった…」とこの状況を伝えてくれた。
息子二人と離れて暮らした2年弱の期間中、子供達がこれだけ成長していたことに喜びを感じつつも、たくさん辛い思いをさせてしまったこと、色々な感情が入り混じり私も泣いてしまった。自分は父親失格だな、と。
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息子達を上海に連れてくる前、妻と一緒に3回程日本に帰ったが、最後に実家に帰った際、私の両親は急に妻に向かって頭を下げ始めた。
「このバカ息子と、私達の可愛い孫をどうかよろしくおねがいします」
「〇〇家の家族になってくれて本当にありがとう」
妻は、照れながらも
「お父さんお母さん安心してください。私がしっかり世話しますから。私達はもう一つの家族ですから。まかせてください。」
妻よ、あらためて、家族になってくれてありがとう。